沖田総司の最後の言葉とは?ネットで出てくる黒猫と辞世の句について
新選組について少しでも知識がある人は沖田総司という人物について
知らない人はいないでしょう。
沖田総司は小説・ドラマ・ゲーム・アニメ、様々なジャンルであっても
新選組を扱っていれば必ずといって主要人物として描かれます。
彼の残した最後の言葉についても、死に際を描いた作品であれば
よくでてくることでしょう。
ネットでも「沖田 最後の言葉」で出てくるのは辞世の句であったり。
黒猫のエピソードであったりします。
特に辞世の句についてはたくさん出てきます。
しかし私にはどうしても最後の言葉=辞世の句が結びつかないのです。
なぜなら、辞世の句とは、死を前にして残す句のことも指しますが。
生涯最後に書いた句も辞世の句も意味するからです。
死を意識せずとも残した句がはたして沖田総司の最後の言葉といえるのか。
とても疑問に思います。
そういうわけでこの記事では私なりの「沖田総司の最後の言葉」について
書いていきたいと思います。
予め述べておきますが、決してファンのイメージを壊す意図はなく、
史実的に解き明かそうという意図です。
Contents
●沖田総司の人物像ついて
*最近のイメージ
彼についてはあまり資料がないそうです。
というのもあまり良いものが出てきませんでした。
ただ若くして亡くなった天才剣士というところから
「強く、儚く、美しい」という三拍子が揃ったような人物像が多いように感じます。
最近だと2021年の映画岡田准一氏主演の「燃えよ健」の中の
山田涼介氏が演じた沖田総司がかなり沖田らしいと評判になっています。
気になる方はぜひ一度観賞あれ。
この「燃えよ剣」は司馬遼太郎氏の小説が原作となっていますが、
昨今のこの沖田総司のイメージの影響は氏の小説も大きいと私は考えています。
というのも彼は歴史に忠実な小説家であり、
史実とフィクションを巧妙に織り交ぜるため、歴史家の間で昔から話題になっています。
*司馬遼太郎の影響
私からすると映画の沖田の表現は原作の司馬氏の人物層に沿ったものであり、
その司馬氏の沖田の人物像に魅了された人が多いということでしょう。
ではその司馬氏の沖田の人物像はどこからきたのかというと
子母澤寛の『新撰組始末記』を参考にさせてもらったいいます。
これは子母澤氏が新選組にゆかりある土地での取材を行った記録であり、史料です。
出版が1928年なので当時を考えると新選組を知る人々が存命していた時代なので
資料的価値はは高いと考えられます。
ですが、子母澤氏の創作も含まれている可能性も否定はできないため、
信憑性について疑問が残ります。
沖田家文書に関しても「天才剣士で若くして明治元年五月三十日に亡くなった」くらいの
情報しかありません。
事実生まれた年も墓碑と文書の記録で誤差があるくらいなので
どれほど情報が少ないかご理解いただけると思います。
*資料からよみとれる人物像とは
子母澤氏は『新撰組始末記』含めた新選組三部作を出版しています。
これによると「剣は天才的」で「よく冗談をいって真面目でないこと」が多く。
「軽口の面白い明るい男」であり、女遊びよりも子どもと遊んでいたといいます。
大らかな局長の近藤と規則に厳しい副長の藤方に比べると
とても親しげがある感じがしますね。
これを元に司馬氏は「明るい同時のような相貌」としており、
新選組という物騒な集団の中で明るく、優しく、上の二人よりも強かった。
情に厚くもあるが人を斬ることに躊躇いがない二面性を持ち合わせていながら、
病で亡くなるという史実と魅力的なイメージを巧みに織り交ぜて沖田総司を作り上げ、
それが後世に繋がっているといわけです。
つくづく司馬氏の小説って本当に大きい存在であると実感します。
●最後の言葉について
というわけで沖田総司の人物像についてなんとなくわかったところで、
最後の言葉についてです。
本当は『新撰組始末記』に「これです」と載っていれば良いのでしょうが。
あいにくこの時点ではまだ未確認です。
なので今回はよくネットで「最後の言葉」と調べて出てくるものについて
思うことを書きたいと思います。
*辞世の句について
「動かねば 闇に戸田つや 花と水」
これが辞世の句、もとい最後の言葉であるとネットでは出てきます。
説としては、花と水は自分(沖田)と土方だったり新選組だったり、
土方の読んだ返歌ともいわれたりしています。
けれどどこを見ても出典がのっておらず、書いた人と名前の部分の筆跡が異なっているとか、
沖田が読んだかどうかも怪しいのではと思っています。
はたしてそれが本当に最後の言葉といえるのでしょうか。
では最後の言葉ってなんだと言われても、それは当時その場にいた人にしかわかりません。
と言ってしまったら元も子もない話なので、
私は信憑性がまだおけるなと思った沖田総司の最後の言葉をご紹介します。
●庭にいた黒猫
沖田総司の世話をしていた飯炊きの老女が、のちに庄内から帰った沖田林太郎・みつ夫婦に
話した逸話として、黒猫の話があります。
亡くなる2、3日前、沖田総司は庭に来る黒猫を斬ろうとしましたが、
既に結核で衰弱していたため斬れませんでした。
翌日、また斬ろうとしましたが、斬れませんでした。
その後意識不明になって倒れた際に「あの猫はまた来てるだろうな」と言ったのが
最後の言葉となりました。
この逸話は裏付ける資料はないため、史実に基づいたとはいえませんが、
江戸時代には「黒猫を飼うと結核が治る」という迷信があったそうです。
信じる人の価値観によりますが、私は沖田の最後の言葉は辞世の句よりも
こういった何気ない言葉の方なんじゃないかと思います。
病を患っている今わの際に詩的なものが出てくるものか、
沖田は剣の才はあるといわれても、句の才がどこまであったのか、
もし才があればなにかしらの資料が残っているのではないかと思っています。
まだ逸話であれども出典がわかるだけこちらの方が信憑性があるような気がします。
●まとめ
調べが甘い部分もありますが、この記事を書くにあたって「燃えよ剣」を観ました。
沖田総司が多くのファンに愛されているんだと実感しました。
沖田の墓は専称寺というお寺ですが、ファンの一部の人たちのマナーの悪さに
迷惑してお寺が一般参拝を禁止にした話もあります。
お寺や史跡は昔から現存していることさえ奇跡です。
墓所が判明していない偉人の人たちも多くいる中で、
無関係な一般人が参拝できることはとてもありがたいことです。
多くのファンに愛されていることは悪いことではありませんが、
マナーは守って常に畏敬の念を忘れないよう心がけるようにしましょう。