スピードワゴン・小沢 一敬さんが若い頃はどんな人だった?

お笑いコンビ、スピードワゴンのボケ担当の小沢 一敬(おざわかずひろ)さん。

1973年10月10日の愛知県出身です。愛称はSEKAI NO OZAWAやセカオザなど。
コンビではネタ作りも担当しています。

スピードワゴンのネタといえば「甘~い」ネタが印象的ですよね。
小沢 一敬さんはコンビとしてだけではなく、個人としても多く活躍されています。

バラエティ番組への出演はもちろんのこと、
本の出版や、俳優としてドラマや映画への出演、Youtubeでも活動を行っています。

よく目にするお笑い芸人の一人でもあると思います。
そんな小沢 一敬さんの過去、若い頃は現在とは少し印象が異なるようです。

調べてまとめてみましたので気になる方はご覧ください!

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●小沢 一敬さんが若い頃は貧乏だった?

小沢 一敬さんが名古屋に住んでいた子供の頃は、とても貧しい生活を送っていたそうです。

お母さんのお仕事はコートにボタンを1つつけたら1円くらいになるような内職。

小沢 一敬さんがおやつを食べたいと言うと、
砂糖を舐めてなさいと言われるくらい貧しい生活だったといいます。

大人になるまでポテトチップスも食べたことがなかったとか。

クリスマスプレゼントに、野球盤かグローブが欲しいとお母さんにねだったところ、
翌朝枕元に粘土があり、それで作ればいいんじゃない?と言われたエピソードも…。

そのため、中学生の頃には新聞配達のアルバイトをするようにもなっていたそうです。
私たちには想像できないような生活を送っていたみたいですね。

●若い頃の小沢 一敬さんはヤンキーだった?

小沢 一敬さんは高校を退しており、
中退した高校には約2か月だけ通っていたそうです。

当時通っていた高校は勝手に中退して、家を出て行ってしまったそうです。

小沢 一敬さん本人はとても飽きっぽい性格から、
高校が合わなかったと明かしているようですが、とても破天荒な性格にも見えますよね。

今現在の小沢 一敬さんに繋がっている部分もあるように思えます。

その当時の小沢さんの髪型は青いリーゼント。

当時の典型的なヤンキースタイルが想像できます。

高校中退後は、地元の友達とゲームセンターに通い詰めるようになり、
夜遅くまで遊んでいたそうです。

生活費が足りなくなってきたら、建設現場でアルバイトをして過ごしていました。

しばらくはフリーター生活を送っていたようですが、
小沢 一敬さんの親戚は良く思っていなかったようで、
祖父母のお葬式には参加させてもらえなかったという辛いエピソードも明かされています。

小沢 一敬さん本人は、高校に通わなかったからこそ出会えたような人たちもたくさんいて
自分の世界が広がった、と当時を振り返り前向きなコメントも残されています。

●小沢 一敬さんは若い頃、バンドマンもやっていた!

小沢 一敬さんのインスタグラムには15歳くらいの頃の、若い頃の写真が投稿されています。

若い頃はバンド活動を行っていたようで、ギターを抱えた写真が、
ファンからも大絶賛のコメントが寄せられています。

ファンにとっては、このような貴重な写真の投稿はとても嬉しいですよね。
バンドマン時代はモヒカンスタイルで活動していたようです。

小沢 一敬さんはロックバンド、THE BLUE HEARTSの熱狂的な大ファンであることも有名ですよね。
THE BLUE HEARTSに影響されてバンドを始めたのでしょうか。

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●まとめ

今回は多彩な才能をもつ、スピードワゴンの小沢 一敬さんの過去や、若い頃について調べてみました。

真面目な方かと思っていましたが、
意外な過去を持っていてとても驚きました。

若い頃は遊んで過ごしていた小沢 一敬さんですが、
20歳になる頃には当時遊んでいた友達が次々と就職をしていき、自分たちの道を進み始めました。

しっかりしている友達を見て、このままではだめだと思った小沢 一敬さん。

そんな時に別の友達から誘われて、
お笑い芸人になることを目指すことになったそうです。

小沢 一敬さんと、スピードワゴンの活躍をこれからも期待していきたいですね!

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