【歴史トリビア】平安時代における外国との関わりについて。どこまで知ってた?実は、、、

日本は古くから外国との交流や交易を行ってきました。
古くは邪馬台国の卑弥呼が居たとされる弥生時代から交流があったとされています。

現代社会において外国との貿易は、私達の生活に深く関係しています。

例えば、普段使用している衣服や携帯電話など、
外国で作ったものを日本に持ち込んで販売する事や

そもそも材料が外国でしか手に入らないものもあり、
石油などの燃料資源は、そのほとんどを外国に依存しています。

そんな外国との関わりに関して、古くから日本と交流のある国が現在の中国朝鮮半島の国々です。

日本は当時から中国や朝鮮半島から得た文化が多く、
様々な事を吸収して独自の進歩を遂げてきました。

今回は平安時代における外国との関わりで、
現在の中国や朝鮮半島とどのような交流を行っていたのか、
どのような発展を遂げたのかをご紹介します。

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●平安時代における外国との関わりについて

*平安時代に交流のあった東アジアの国々

平安時代に日本と関わりの多かった外国の国々は、
東アジアの新羅渤海(ぼっかい)です。

位置関係で言えば、唐が中国、新羅が韓国や北朝鮮、
渤海が中国の沿岸部から北朝鮮・ロシア辺りと広い範囲にあったとされています。

平安時代後期になると唐は、内乱の影響で滅びてしまいになりました。

また、新羅も高麗へ、渤海も契丹(ぎったん)という隣国に滅ぼされてしまいます。
そうした隣国の事情
によって日本の外国との関わり方も時代に合わせて変化していきます。

*平安時代の外交の変化について

平安時代の外国との関わりにおいて特徴的な出来事をご紹介します。

1.遣唐使の廃止

奈良時代から平安時代初期まで続いた遣唐使も唐の衰退を受け、廃止されてしまいます。

その遣唐使廃止を進めた人物こそ学問の神様で
現在人気の呪術回戦の乙骨や五条悟のご先祖様である菅原道真です。

歴史の授業でも口にして覚えたと思います。「894(白紙)に戻す遣唐使」。

遭難など船のトラブルのリスクや唐の弱体化から菅原道真は、
天皇へ提案し、遣唐使が廃止に至ったと伝えられています。

もしかしたら道真は自身の呪力を使って、唐の弱体化等を見通して
そのような提案をしたのではないか?
とついつい想像が膨らんでしまいます。

2.遣唐使廃止による外国との関わりの変化。渤海使、日宋貿易

平安時代初期に遣唐使は廃止されてしまいますが、
完全に外交が閉ざされたわけではありませんでした。

それまで天皇しか交易を行ってはならないという状況から
隣国の商人達が個人的に日本に渡航し、商売を行うようになります

当時、唐物(からもの)と言われ外国から持ち込まれる品物は人気が高く、
特に貴族から熱望されていたと言われています。

そして、その中で盛んに渡航していた国が渤海であり、
渡航してきた商人を渤海使と呼ばれていました。

また、平安時代後期になると武家の名門平氏の棟梁である
平清盛によって再び交易が盛んになります。

これが日宋貿易です。

高級な絹織物や陶磁器などの輸入を行い、
日本からは砂金や水銀等を輸出したとされています。

武家でありながら太政大臣にまでなり、政治の実権を握っていた清盛は、
商売上手でもあったという事ですね。

3.東アジアからもたらされた文化

平安時代に東アジアからもたらされた文化として代表的なものが密教です。

唐で仏教を学んだ2人の高僧が日本に帰国し、山奥で宗教を開きます。
その2人が最澄(伝教大師)と空海(弘法大師)です。

最澄が比叡山に延暦寺を建て天台宗を広め、
空海が高野山に剛峯寺を建て真言宗の布教に努めたとされています。

国としてこの2つの宗教をバックアップしていく背景には、
他の仏教の僧侶の政治への関与など持ちすぎた力を抑える狙いもあったとされています。

●独自の文化をつくり、発展した日本

遣唐使が廃止され、平安時代の日本は外国との関わりが減ってしまう代わりに
独自で文化を発展させていきます。これを国風文化と呼びます。

代表的な内容が、かな文字です。

元々は中国から伝わった漢字、男性が主に使用していましたが、
やわらかく書きやすいように少しずつ崩され、宮中の女性や庶民の間で爆発的に広まっていきます

かな文字の広がりによって、和歌や物語も楽しまれるようになり、
モテる条件に和歌のセンスが上がったり、現在大河ドラマでも描かれている
吉高由里子が演じる紫式部の源氏物語もこの頃につくられた作品です。

実際に紫式部が吉高由里子みたいな人物であったら、男心をくすぐる可愛らしく
ユーモアのある人物であったに違いないでしょう。

とにかくかな文字は平安時代の国風文化における最大の発明といっても過言ではないと思います。

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●まとめ

・平安時代は、東アジア(中国・韓国・北朝鮮)の国々と交流があった。

・平安時代の外国との関わりは、隣国の状況に合わせて国単位から民間単位へ移行し行われ
ていた。

・平安時代は宗教やかな文字など唐などから伝わってきた文化を日本独自で深めた国風文
化と呼ばれている。

平安時代の外国との関わりは十分理解できたでしょうか?

平安時代に得た様々な文化は現在にも残るかな文字のような大発明があります。

天皇と貴族、源氏と平家だけではない日本の歴史に触れて、
少し歴史の見方も変わったのではないでしょうか?

いろいろな角度から歴史に触れもっと平安時代など日本の歴史に興味が持てると良いですね。

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