【歴史トリビア】坂本龍馬の生年月日は??誕生日と命日が一緒って本当??
幕末の英雄 坂本龍馬。
33歳の時に暗殺されるという短い人生でしたが、
彼によって影響を受けた人物も多く、
後の明治維新の立役者の一人に挙げられることもあります。
そんな坂本龍馬の生年月日は、天保6年11月15日です。
龍馬が暗殺された近江屋事件は慶応3年11月15日。
そう。龍馬は誕生日と命日が一緒なのです!
同じ日に生まれて死を迎えるなんて、ちょっと運命を感じますね。
そこで今回は坂本龍馬の生年月日についてお話します。
●龍馬の生年月日と命日を新暦に直してみる
さきほど運命を感じたばかりですが、さっそく残念なお話をしなくてはなりません。
やはり、龍馬の誕生日と命日は違う日になってしまうのです。
というのも、11月15日というのはあくまで旧暦での日付です。
当時の暦、旧暦を今の暦にすると、
生年月日の天保6年11月15日は、1836年1月3日。
命日の慶応3年11月15日は、1867年12月10日となります。
現在の暦にするとずれてしまうのです。
そもそも旧暦とは、1872(明治2)年に制定された
太陽暦(新暦)以前に採用されていた暦法です。
月の満ち欠けを基準にした暦「太陰暦」と、
太陽の動きを基準にした暦「太陽暦」を組み合わせた「太陰太陽暦」が、当時の暦です。
1872年に改暦したときは、1872年12月3日に当たる日を、1873年1月1日としました。
そのため、昔の暦を現在の暦に直すとずれが生じてしまうのです。
●龍馬の生年月日は諸説あり
?
現在の暦に直すと、結局、龍馬の生年月日と命日は同じ日ではなくなってしまうのですが、
そもそも生年月日には諸説あります。
特に多いのが、10月15日、11月10日、そして11月15日です。
まず、10月15日という記述があるのは、「汗血千里駒」(坂崎紫瀾)、
「阪本龍馬」(弘松宣枝)、「勤王烈士伝」(萩原正太郎)の3つです。
次に、11月10日説は、「維新土佐勤王史」(瑞山会、坂崎紫瀾)です。
最後に定番の11月15日説は、「坂本龍馬」(千頭清臣)、
「千里駒後日譚」となっています。
このうち、「千里駒後日譚」は、1899年11月に、
「土陽新聞」に全6回で掲載された連載です。
龍馬の妻、お龍の話が載っています。
「龍馬の生まれた日ですか。天保六年の11月15日で、丁度斬られた月日(慶応3年11月15日)と一緒だと聞いているのですが、書物には10月とあります。どちらが真だか分かりません」
妻のお龍でさえ分からなかったら、もう誰も分からないでしょう。
当時は今のような厳密な戸籍制度もありませんから、
しょうがないのかもしれません。
それに、誕生日をお祝いするという習慣もありませんから、
龍馬本人もあまり気にしていないかもしれません。
ちなみに、当時は誕生日に年を取るという考えもなく、
正月にみな年を取る「数え年」という数え方でした。
そのため、享年33歳の龍馬も、満年齢で言えば31歳です。
あんなに活躍したイメージがあるのに、
実際に活動した時間はとても短かったのですね。
●11月15日には龍馬にちなんだイベント盛りだくさん
坂本龍馬の生年月日にはいくつか説がありますが、
龍馬の墓がある京都府の京都霊山護国神社では11月15日に、
龍馬をしのぶ「龍馬祭」が行われています。
暗殺の際、龍馬と中岡慎太郎は、下男にしゃも肉を買いに行かせているところだったということで、
この日にはしゃも鍋が振る舞われるということです。
中岡慎太郎の故郷である高知県安芸郡北川村から贈られたしゃも肉を使っています。
龍馬のふるさと高知県でも11月15日に近い日曜日に
「龍馬まつり」が開かれています。
また、11月を「龍馬月間」として、
いろいろなイベントが開催されるそうです。
●まとめ
生年月日と命日が同じというのはとてもロマンのある話ですが、
新暦に直すと日がずれてしまいます。
でも、誕生日や命日がいつであっても、
各地でいろいろな祭が開催されているのは、今でも龍馬が愛されているということでしょう。
ここでは旧暦とか新暦というのは関係ありません。
何百年たっても愛され続けているということもまた、
ロマンのある話ですね。