【意外と知らない】日本で有名な「ロカビリーバンド」って?実はあの人も・・・
日本にロカビリーが伝わったのは1950年代半ば頃と言われている。
当時ハワイアンやカントリーミュージックをやっていたバンドは
次々とロカビリーバンドに変わっていった。
最初期の有名な日本人ロカビリーミュージシャンは“和製プレスリー“と呼ばれた小坂一也や、
現在もプロデューサーや俳優として活躍するミッキー・カーチス、
明日のジョーの主題歌を歌った尾藤イサオ、ビートルズの前座を務めた内田裕也などが挙げられる。
これらのミュージシャンは日劇ウェスタンカーニバルと呼ばれる
有名な音楽フェスティバルに出演していた。
名前からわかるように当初はウェスタンミュージックのイベントであった。
その後ブームによりロカビリーバンドが出演するようになった。
60年代に入るとグループ・サウンズのブームも生むことになる。
第二次ブームは1970年代で矢沢永吉率いるキャロルが登場。
原宿の歩行者天国にローラー族と呼ばれる若者たちが現れた。
彼らはジルバやツイストなどのダンスをロカビリーに合わせて踊った。
本稿はバンドに焦点を当てて書きたい。
Contents
・内田裕也
バンドよりタレントのイメージが強くある内田裕也。
しかし活動初期は自身がバンドマスターとなり幾つものロカビリーバンドを運営していた。
まずは1957年に佐川ミツオと組んだブルー・キャップス。
翌年はブルージン・バップスを結成。
1959年には渡辺プロダクションに所属し、
既に有名ロカビリーイベントとなっていた日劇ウェスタンカーニバルへ出演。
寺内タケシとブルージーンズに加入など
1960年代中頃まではロカビリー色の強い音楽をやっていた。
その後はビートルズやベンチャーズ、またヒッピームーブメントの影響を
受けロック要素が強くなっていく。
また同時期にザ・タイガースのプロデュースを担当。
1970年代に入ると俳優業や映画監督、イベンター、プロデューサーなどマルチな才能を発揮。
日本のロック黎明期にいち早く海外アーティストを招聘し音楽フェスティバルを開催した。
1991年には東京都知事選に出馬。
テレビタレントとしても有名で口癖は“ロックンロール“だった。
日本で有名なロカビリーバンド、ミュージシャンの1人である。
・キャロル
矢沢永吉を中心に1972年に結成。再びロカビリー、オールディーズのブームを巻き起こした。
当時全盛だったプログレッシブ・ロックやハード・ロックなど技巧派な音楽と真逆で、
ハンブルク時代のロカビリーな初期ビートルズを模倣した音楽は斬新だった。
リーゼントや革ジャン、サングラス、オートバイなどのファッションやライフスタイルも
当時の日本においてセンセーショナルであった。
当時はアイビーや長髪が全盛だった。
キャロルは時代遅れと思われていたロカビリーファッションで登場し話題となった。
同じ不良でもヒッピー文化とは違い労働者階級の雰囲気を強調していた。
そのため暴走族やヤンキーなど不良や若者からの支持が圧倒的で、
クールスら親衛隊の存在も有名である。
楽曲は初期ビートルズの特徴に矢沢のオリジナリティのあるセンスが発揮されており、
単なる洋楽の真似とは違い日本の大衆の心を揺さぶった。
当時“日本語はロックのリズムには乗らない“と言われてきたが、
キャロルはそれが可能なことを示した。
和製ロックが確立されたのはキャロルからだと言われている。
時代を超越し唯一無二の音楽を創作したキャロルは
日本で最も有名なロカビリーバンドの1つである。
・ブラック・キャッツ
キャロルがライブをした“怪人二十面相“を経営していた山崎眞行がオープンした
ロカビリーショップ“クリームソーダ“の店員により1981年結成。
日本のみに留まらず世界を代表する有名ロカビリーバンドとなる。
翌1982年には日本のロカビリーバンドとして初のアメリカツアーを行い成功を収めた。
ロカビリーのファッションアイテムを揃えるクリームソーダには
ビートルズのジョン・レノンも訪れた。
元ニューヨーク・ドールズのジョニー・サンダースはブラック・キャッツのファンを公言しており、
ギターにはブラック・キャッツのステッカーが貼ってあることは有名である。
彼らに憧れた若者は原宿に集まり“ローラー族“と呼ばれた。
日本のロカビリー文化を代表するバンドである。
まとめ
日本のロカビリーの初期から再ブームまでを追ってみた。
いち早く海外の文化に目をつけた内田裕也。
音楽業界のみならず映画、テレビにまでその魅力を広めた。
また一度は廃れてしまったロカビリーに再び目をつけ、
新たな要素を加えたキャロルの功績も素晴らしい。
彼らの登場によって日本のロックは確立した。
ブラック・キャッツは音楽のみならずファッションにも注目し
原宿で一大ムーブメントを巻き起こした。
海外アーティストからも支持され世界的に有名なロカビリーバンドとなった。
アメリカで誕生したロカビリーだが、遠く離れた日本でも受け入れられ
新た要素が足されオリジナルな文化になっていったことは素晴らしいと思う。
機会があれば是非聞いてみてほしい。