「猿の惑星」のシーザーは旧作と新作の違い!どこが違うの!
大人気SF映画シリーズ「猿の惑星」。
その「猿の惑星」を代表するキャラクターとして有名なのがシーザーです。
そんな、シーザーですが、1968年に始まった旧作シリーズ、
そして2011年に始まった新三部作でそれぞれ同名のキャラクターがでてきますが、
それぞれの役割・立ち位置、そして性格なども違っています。
シーザーと、単に言ってもそれぞれの違いで分けられて考察できてしまうのが、
歴史の長い「猿の惑星」シリーズの深み・魅力でもあったりします。
今回は、そんな「猿の惑星」の人気キャラであるシーザーの新旧シリーズ
それぞれの違いについて比較・考察していきたいと思います。
旧作シリーズ「猿の惑星」におけるシーザーは革命家
旧「猿の惑星」シリーズにおけるシーザーは、シリーズ3作目「新・猿の惑星」
における主人公でもあった猿のコーネリアスの息子というキャラクターでした。
シーザーのキャラクターは、未来からやってきた猿のコーネリアスの息子という役割で、
当初はコーネリアスたちによって「マイロ」という名前を与えられましたが、その本来の名前を知る由はありませんでした。
他の猿と違い、元から賢い存在であったシーザーは、
人間に与えられた辞書などを参考に共和制ローマの政務官であったガイウス・ユリウス・カエサルの名前を参考に、シーザーという名前を自身につけました。
カエサルという名前を英語で書くと、Caesarとなり、これは英語で読むと「シーザー」になることから、シーザーという名前になりました。
このシーザーは天性のカリスマ性で他の猿たちを引っ張っていき、
文字通りのカリスマとして人間社会への革命闘争を行っていきます。
高い知能を有し、言語を使い人間とも猿とも平等にコミュニケーションが取れ、
猿に対して温和な人間には優しい紳士的な一面をみせることもあります。
また、同じ猿たちに対してはどこか超能力じみたテレパシー能力を使うこともあります。
最終的に猿を虐待していた人類の指導者に対する反抗に成功したものの、その後の未来社会では、
人類のと共存の道をはかり、人類抹殺をもくろむ武断派の猿であるゴリラ族との間で戦争を起こしたり、
人間の中で猿を嫌悪しており猿を皆殺しにしようと目論むミュータントとの間で、
板挟みになるなど苦労人としての一面をみせています。
新作「猿の惑星」三部作におけるシーザーは部族長
2011年に製作された「猿の惑星:創世記」からはじまったリメイク版「猿の惑星」三部作に登場するシーザーは、先ほど紹介したシーザーとは同名の別個体となっています。
こちらのシーザーは、人間によって対アルツハイマー用の薬を投与された猿の息子として生まれたものの、母猿がある日人類に危害を加えたことで殺されてしまい、それ以降は研究者であった青年科学者ロッドマン博士によって愛情を受けて育ちました。
その後、高い知能を持って育ったシーザーはロッドマン博士にさらなる知性を与えられ、
アルツハイマーに悩まされるロッドマン博士の父を介護するなど、その知性をのぞかせました。
しかし、ロッドマン博士の父が、隣人ともめごとを起こして喧嘩になりそうなのをみて
彼を守るべくシーザーは隣人の男性に危害を加えたことで、動物を収容する施設に送り込まれました。
そこからは、他の猿などにリンチを受けたり、施設の人間から虐待を受けるものの、
高い知性を持っていたシーザーは自身をいじめた猿や人間たちに逆襲を行い、ゴリラを味方につけることで、他の猿を従えると、収容施設から脱走。
さらに、他の猿にも自身が得たような薬剤を投与すると、知性を与えていきました。
そして、知性を得た猿の集団たちは、最終的には自由を勝ち取りました。
その後、猿インフルエンザといわれる特殊なウィルスにかかっていった人類は絶滅。
シーザーたち猿は、人類と争いながらもそれなりに自由を謳歌していました。
しかし、最終的にシーザーは、猿を抹殺しようとする人類の軍隊が迫ってきていることを知り
彼らと激闘を繰り広げ、勝利するものの、シーザー自身は闘いで負った傷が原因で死亡してしまいました。
このように波乱の人生を歩んだシーザー。
革命であった旧シリーズのシーザーとは違い、終末世界の中で、他の猿たちをたばね外敵を排除していくシーザーたちは、一種の部族長のようにみえます。
「猿の惑星」旧作と新作におけるシーザーの違い・比較
では、旧作と新作におけるシーザーはどのように違うのでしょうか。
例えば旧作のシーザーはどちらかといえば、人間たちに反逆を行いつつも人間と共存していく社会の構築に向けて奔走するタイプでした。
こういった解釈は、1960年代・1970年代にアメリカ社会でおきていた公民権運動のカリスマであったキング牧師やマルコムXといった黒人の指導者たちの影響を大きく受けているものだと考えられています。
あるいは、キューバで革命を起こしたチェ・ゲバラなどもそのキャラクターの参考となっているのではないかともいわれています。
つまり、旧シーザーは革命家であり、社会の変革者でもあります。
それと同時に、人類との和睦も図るキャラでもあるわけです。
その一方で新三部作におけるシーザーは、人間社会を革命するというよりも、人間と自身たち猿の間で壁を作り、お互いにかかわりを持たないようにしています。
この新三部作におけるシーザーは、革命家ではなく部族長であり、人間社会へ極度の干渉を行わないようにしている描かれ方をしています。
これは、製作者が意図しているかは定かではありませんが、旧「猿の惑星」シリーズにおける猿たちは奴隷として連れてこられた黒人の象徴である反面、
新三部作における猿たちはインディアンのようなアメリカ原住民たちの象徴となっています。
旧のシーザーは人間たちに認めてもらい共存しようとする一方で、新三部作におけるシーザーは、人間に期待をしておらず、最初から一緒に何かをしようとは考えていないという違いがあります。
この違いは中々面白い違いですね。
まとめ
今回は人気SF映画シリーズ「猿の惑星」におけるシーザーの違いについて、様々な情報を調べてみました。
今回わかったことをまとめると以下のようになりました。
●旧作におけるシーザーは人類の圧政への反逆・和解共存を図る革命家
●新三部作におけるシーザーは人類とは独立して、猿たちの生存を模索する部族長
●旧作のシーザーは当時アメリカ社会で流行した公民権運動に強く影響を受けているが、新作はそうではない
「猿の惑星」のシーザーと一言にいってもかなりキャラクターが違いますね!
最後まで読んでいただきありがとうございました!