【知られざる事実】戦国時代の馬の大きさ!!実は、戦国武将はポニーに乗っていた??
颯爽と駆ける馬。日に照らされて輝き、風になびくたてがみ。
その上に跨る甲冑姿の武将たち。
時代劇などで見る騎馬武者たちの姿は迫力がありながらも、優雅です。
自分もあんなかっこいい馬に乗りたい!
と憧れた方もいるのではないでしょうか。
そんな時、私たちが思い浮かべるのは、
競走馬でよく見るサラブレッドのスピード感や迫力などではないでしょうか?
では、実際のところどうだったのでしょう。
今回は、戦国時代の馬の大きさについてお話したいと思います。
Contents
●武田騎馬隊はポニー集団
戦国時代に親しまれていた馬に近い大きさの種が、現在も残っています。
長野県の木曽地方原産の「木曽馬」です。
木曽馬の体高(肩までの高さ)は、125~135cm。
現在のサラブレッドが160cmほどなので、かなり小さい感じがします。
動物園の乗馬体験でおなじみのポニーは体高147cm以下。
ちなみに、ポニーとはサラブレッドのような品種名ではなく、体高147cm以下の馬のこと。
100cmだろうが147cmだろうが、ポニーはポニーです。
戦国時代の遺構から発掘された馬の骨は体高130cmほどだったそうです。
そう考えると、戦国武将はポニーに乗っていたと想像するのがちょうどよいかもしれません。
ところで、木曽地方と聞いてぴんときた方はいませんか?
そう、騎馬隊で有名な武田信玄の治めた地域です!
戦国最強と言われた騎馬隊も、
馬の産地だからこそ生まれたものだったのですね。
●戦国時代ならポニーでも迫力満点になるはず
ドラマではあんなにかっこいい武田騎馬隊もポニー集団と思うと、
ちょっと微妙かも…?
いえ、大丈夫。そんなことはありません。
戦国時代の平均身長は男性で157cm、女性が145cm程度と言われています。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では、身長190cmの阿部寛さんが演じていた武田信玄も、
実際は153cm程度とされています。
阿部さんがサラブレッドに乗っているのはとてもかっこよかったですが、
153cmの信玄でも、体高130cmの馬に乗っていれば、けっこういい感じに思えませんか?
賤ケ岳の七本槍で知られる加藤清正は、馬に乗ると足が地面についたと言われています。
サラブレッドだと、足が長すぎる!となりますが、ポニーなら、まああり得るかなとなりますね。
清正の身長は六尺三寸、約190cmとされています。
それこそ、阿部寛さんがポニーに乗れば、足を持て余してしまうかもしれません。
木曽馬の速さは時速40キロ程度
これは何も乗せていない時の速さなので、重い鎧を着た武将を乗せていたら、
もっと遅くなったと思います。
さらに、昔のNHKの番組で検証したところ、
10分程度で馬がばててしまったという結果が出たそうです。
時速40キロ程度と言えば、自転車で全力疾走したくらいです。
人間でもおそらく10分も全力疾走できる人は、
かなり訓練を受けた人ということになるでしょう。
残念ながらドラマで見るように、
ずっと疾走して行軍していたわけではなさそうです。
当時の日本人の平均身長は現在よりかなり小さかったので、
ポニーくらいの大きさの馬に乗っていても、十分かっこよかったと思います。
時速40キロで騎馬隊が迫ってくれば、かなり迫力満点だったことでしょう。
●戦国時代の馬っておいくら?
日本中央競馬会のサイトによると、活躍する競走馬は億単位で取引されることもあるそうです。
戦後すぐの話ですが、私の親戚は、320万円で競走馬を購入したそうです。
現代の競走馬でもピンからキリのようですが、戦国時代はどうだったのでしょうか。
馬の値段について、はっきりと分かる資料は少ないのですが、
1つ有名なエピソードがあります。
山内一豊の愛馬「鏡栗毛」
当時、一豊はまだ出世前。
いい馬を見て欲しいとは思っても手が出せずにいました。
そんなところへ、妻の千代が結婚の持参金を差し出したのです。
その額は金十両。
そのお金で一豊は無事に東国一の名馬といわれる鏡栗毛を手に入れ、
活躍することで出世しました。
まさに、千代の内助の功が光るエピソードですね。
そして、戦国時代の金十両は、現在のおよそ200~400万円ほどとされています。
名馬はやはり、高価だったのですね。
そんな額をぽんと、夫のために出せる千代はさすがとしかいいようがありません。
●まとめ
戦国時代の馬は、現在のポニー程度の大きさとされています。
でも、当時の日本人の平均身長も低かったので、そんなに違和感は無かったと思います。
今でも木曽馬は、長野県で育てられていて乗馬体験などもできるそうです。
ポニー程度の大きさですから、初心者でも楽しめるのではないでしょうか。
戦国時代を体験しに行ってみるのもいいかもしれませんよ。