90年代最高傑作と称される刑事映画「セブン」

今回は、1990年代を代表する映画の一つとして名高い「セブン」について
様々なエピソードをご紹介します。

「セブン」は当時世界中でセクシーな男性の象徴であったブラッド・ピット主演で
製作されたサスペンス映画であり、ブラッド・ピットの名前を世界中にしらしめました。

その退廃的な世界観は、当時世紀末であった90年代の世相には非常にマッチし、
刑事映画というジャンルをただのアクション映画からサスペンス映画までに
進化させることに成功しました。

今回は、そんな「セブン」のエピソードについてご紹介します。


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「セブン」のストーリーについて(ネタバレ注意)

セブンは、1995年に製作されたサスペンス映画です。

雨が降りしきる大都会ニューヨーク、ここで引退を考えたベテラン刑事のサマセットは、
刑事という仕事に懐疑心を覚え、自分の人生に絶望を感じ、長い間生きていました。

そんなサマセットはある日、極度に肥満した男が胃の中に複数の食べ物を詰められた状態で
死んでいるという異常な殺人事件を担当することになります。

サマセットはこの事件を済ませてから引退することを決意、
1週間の間新人刑事のミルズと手を組み、捜査にあたろうとします。

すると、被害者は次々に増えていき、次は多くの罪人を無罪にしてきた弁護士でした。

さらに次から次に死体は増えていき、やがてサマセットはこれが「七つの大罪」を
モチーフにした連続殺事件であることに気が付きます。

また、サマセットはタッグを組んでいたミルズと交流していく内に、
当初は頭の悪いガキとしてみなしていたミルズが妻がいること、家族を抱えていることを知り、
彼に一目を置いていきます。

しかし、それでも連続殺人は続きました。

サマセットとミルズは何人かの容疑者をみつけるものの、その容疑者が犠牲になってしまったり、
真犯人を見つけ追い詰める物の逃げられたり、捜査は行き詰まりをみせていきます。

やがて、捜査をしていく内に犯人が自供しにやってきました。

それはただの中年男の自称「ジョン・ドウ(名無しの権兵衛)」であったのです。

ドウは社会に激しい不満と憤りを覚え、
七つの大罪をベースにした連続殺人をしていたのでした。

厭戦的な性格をしていたサマセットはドウを尋問していく内に、
少し自分と似ている部分があると思いつつも、社会に希望を見出しているミルズは
ドウを否定しつづけました。

しかし、ドウは最後の犠牲者がいるところに案内するとサマセットやミルズを呼び寄せますが、
それこそドウの最後の計画だったのです。

やがて、ドウはミルズの事を調べていく内に若い美人な女性と結婚していると知り、
「嫉妬」してしまいます。

そして、ドウはミルズの妻を殺して、その生首がちょうど届くようにサマセットと
ミルズを誘導していたのです。

ミルズは「憤怒」の感情のままドウを射殺。

ここで『傲慢・強欲・嫉妬・憤怒・色欲・暴食・怠惰』をベースにした七つの大罪の
連続殺人事件は解決するのでした。

サマセットはドウを殺したことで、茫然としているミルズがパトカーに運ばれていくのを見送ります。

しかし、サマセットは逆のこの事件を通して刑事を続けることを決意。

「ヘミングウェイはこう書いた、人生は素晴らしい、戦う価値がある。後者には同意する。」

彼の独白とともに、映画は終わります。

以上が「セブン」のシナリオでした。

まさか、刑事が殺人事件を追う話、と思いきや、殺人鬼の本当の目的は刑事はもちろん自身すらも
七つの大罪」のテーマをした連続殺人の犠牲にするというすさまじい内容だったのでした。

本作はキャスティングもすごく、当時脂ののっていたブラッド・ピットを主人公の一人ミルズに、
モーガン・フリーマンをベテラン刑事のサマセットにキャスティングしました。

本能のまま生きながらも全力で他人を愛するミルズ、孤独なサマセットはまさに
陰と陽のような存在で、この二人のタッグを見るという楽しさも本作の魅力の一つとなっています。

「セブン」が刑事映画をアクションからサスペンスに変えた

それでは「セブン」の何が凄かったのか、というと80年代~90年代までハリウッド映画のエースで
あった刑事映画というジャンルを脳筋アクション映画からサイコスリラーに変化させたというところに
あります。

思えば、本能のまま生きる新人と冷静沈着で現実主義者のベテランがタッグを組む、
というシナリオは「リーサルウエポン」などでも多くみられた設定の一つでした。

しかし、本作が凄いのはそういった設定をそのまま引用しながらも
現実的なサスペンス映画に変更させてしまったところにあります。

まさにコロンブスの卵的発想でした。

こういった革命的なことを行い、刑事映画というジャンルの延命に成功しました。

現在では9.11以降ハリウッド映画は暗くなったといわれていますが、
実はその伏線は90年代にあったのでした。

むしろ、9.11の影響下にあった00年代の初頭はアダム・サンドラー主演の映画など、
コメディ映画が覇権をとるなど、暗くなるどころか現実を忘れるように荒唐無稽に
なっていった節があります。

話を「セブン」に戻しますが、この「セブン」のヒットは世界中で多くの
亜流作を生み出すこととなり、まんまモーガン・フリーマン扮する心理学者が
連続殺人鬼を追いかける「コレクター」や「スパイダー」といったアレックス・クロスシリーズ。

さらには、デンゼル・ワシントン扮する身障者の刑事が殺人鬼を追い詰める「ボーン・コレクター」や
キアヌ・リーヴスがプレイボーイの殺人鬼を演じた「ザ・ウォッチャー」などといった亜流作が
生まれましたが、本作を越える映画はとうとう生まれませんでした。

脚本家アンドリュー・ケビン・ウォーカーの絶望

本作の脚本家をしていたのは、アンドリュー・ケビン・ウォーカーでした。

アンドリューは、元々映画監督を夢見ながらタワーレコードで日銭を
稼いでいたという過去がありました。

しかし、脚本は思ったようにうまくいかず鬱屈とした日々を過ごしていました。

しかも、当時は1980年代で華やかであればいいという風潮が
日本だけではなくアメリカにもありました。

そんな世界で鬱屈とした情感、世界最大の街の一つであるニューヨークで過ごすことの絶望と
孤独を「セブン」にこめてかき揚げ、1991年に脚本を完成させました。

やがて、アンドリューは「ジュラシック・パーク」などのシナリオを手掛けた
脚本家デビット・コープに連絡をとり、彼にその脚本をみせると、ニューラインシネマという
映画会社にアポイントをとってくれたコープはその脚本を映画化することを決定しました。

やがて、監督は「エイリアン3」を大コケさせた新人監督デビット・フィンチャーで決定。

フィンチャーはフィンチャーでかなり暗い性格をしていた男であり、
「スターウォーズは主人公の腕が斬りおとされ、今まで戦っていた敵こそ実の父親だったと
暴露される『帝国の逆襲』までは好きだったが、
ハッピーエンドで終わる『ジェダイの復讐』はクソだ。」と公言するほどの変人でした。

しかし、そんな変人だったからこそウォーカーの脚本をうまく映画化することに成功。

1998年には、デビット・フィンチャーの映画「ファイトクラブ」にも脚本を
ノンクレジットで提供するなど貢献しました。

現在アンドリューはNet flixで製作された映画「ザ・キラー」の脚本を手掛けています。

犯人役の役者は元々違っていた

本作で殺人鬼のジョン・ドウを演じたのはケビン・スペイシーでした。

しかし、当初の企画では犯人役は、ケビンではなく、
「フルメタル・ジャケット」のハートマン軍曹で知られているリー・R・アーメイが内定していました。

ところが、リー・R・アーメイの演じる殺人鬼ジョン・ドウはまんま
ハートマン軍曹のようなキャラであったため、ケビン・スペイシーに変更。

この変更が功を奏し、冷静沈着な連続殺人鬼のジョン・ドウというキャラが生まれました。

これについてリーに申し訳ないことをしたと気にしたデビット・フィンチャー監督は、
リー・R・アーメイの役柄を犯人から警察署長に変更しました。

この変更はうまくマッチし、それ以降ハートマン軍曹のキャラしか印象のなかった
リー・R・アーメイに新しい息吹を与えることに成功をしました。

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まとめ

今回は、90年代最高傑作の映画「セブン」について様々な情報を調べました。

・「セブン」のシナリオは正義が自滅し、悪が勝利したまま死ぬ後味の悪いオチ
・「セブン」は刑事映画というジャンルをただのアクション映画からサイコサスペンスまで披露広いジャンルに改革することに成功
・「セブン」の脚本家であるアンドリュー・ケビン・ウォーカーは、タワーレコードで働きながら鬱屈した感情を「セブン」で向けて書き上げた
・「セブン」の連続殺人鬼は、当初ケビン・スペイシーではなくリー・R・アーメイがやるはずだった

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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