ドラマ化されるミステリー小説について

現在テレビ、映画はもちろん、Netflixなどネットまで映像コンテンツの裾野は広がり、
その勢いはとどまる様子がない。

巷にあふれている各映像コンテンツ、
その作品群の多くに基となる原作が存在している。


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原作

「原作」と聞いて皆さんはどんなものを思いつくだろうか。

自伝や古典、漫画に小説などが代表的なところではないか。

原作をよく知り、好むファンは映像化されたときに思うところがある人も
多いのではないか。

例えば、ストーリーの変更やキャストに対して自分が思い描いていたイメージと
異なっていた
、という声はよく耳にする。

ここでは原案を基にした映像化作品の善し悪しについていうつもりはない。

ただ、作品に対する所感は、作品に触れた人の数だけあり、
解釈も一様ではない。

全員が同じ思いを抱く作品、文字にしただけでも面白みのなさそうな代物だが、
ありがたいことにそのような作品に出会ったことは今現段階ではない。

必ず、同じ作品であっても個人による価値観や考え方、
感じ方は異なり、自然、所感も違ったものとなる。

それは無論読み物でも違った意見となる。

仮に、同じものを読むと言ってしまうと語弊があるが、
落語は演じ手によって同じ演目でも印象は異なる。

それだけ違い自体が自然的なものと言える。

ミステリー小説

原作への思い入れと所感については人それぞれである。

そして原作への接し方については、原作から映像という流れだけでなく、
映像から原作という流れももちろん考えられる。

どちらの流れが多いのかは私は知らないが、
表題にあるミステリー小説となると映像から原作の流れは
他のジャンルの作品よりも少ない傾向にある
ように思う。

ミステリー小説の場合興味関心はやはり謎解き部分にあるという人が
多いのではないだろうか。

構成としても往々にして謎解きがクライマックスであり、
インパクトも大きく、満足度にも大きく影響する部分である。

ゆえに展開が分かった状態、映像化から原作という流れの中においては
初動ほどの強い感慨は生起しにくい。

それはどの作品にも共通ではあるが殊に、
ミステリー小説では構成などの特性上、中々映像から原作へと食指は動きにくい。

またインパクトという点に関していえば、視覚、聴覚への訴求力を持つ
映像コンテンツに比べ、本などの文字媒体のコンテンツでは劣りがちであることは
否めない。

そのようなことも背景として、
映像から原作という流れは特にミステリー小説では生じにくいと考える。

映像としてのドラマ化

しかしながら、映像化前に原作を当たる時間がある人がどれだけいるだろう。

もちろん当たる必要もないのであるが、
事前に情報があることによる原作との比較やキャストの予想など、
楽しみ方の幅は拡がる。

ただ映像化として映画には上映の期限がある。

ゆえに映像作品を鑑賞する前に原作を当たりたいと考える人は、
それまでに目を通す必要がある。

その点ドラマ化した作品であれば撮り溜めることが可能である。
撮り溜めることで、一気にドラマ化された作品を楽しむことも可能となる。

撮り溜めることを前提にすれば時間についてもドラマ化した作品の方が融通がきく。
各々の生活スタイルに合わせやすいのも特徴的である。

映像作品として映画化、ドラマ化を比較すると尺の長さも異なる。

映画化された作品ではおおよそ2時間程度にまとめるのが一般的である。

ドラマ化された作品では1回ごとの起承転結とだいたい1話1時間、
全部で10話前後の作品構成となる。どちらが、というのは一概には言えない。

原作自体がどれだけの分量なのかによっても適する映像コンテンツは異なるだろう。

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最期に

作品の楽しみ方はそれぞれである。ただミステリー小説はもちろん
他の作品を読んだときに、自分だったら、と考えてみるのも一興かもしれない。

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