「ミッシェル・ガン・エレファントのボーカルチバユウスケとは」

ミッシェル・ガン・エレファントというバンドを皆さんご存知でしょうか。

1996年から2003年まで活動していたバンドです。

ボーカルとして活動していたチバユウスケさんについて、
今回は語っていこうと思います。

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1.チバユウスケさんについて


まず、先にお伝えさせていただきます。
チバユウスケさんは2023年12月に食道がんでお亡くなりになりました。
心よりお悔やみ申し上げます。

チバユウスケさんは日本のミュージシャン。
ミッシェル・ガン・エレファント(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)として活動後、
ROSSOやTHE MIDWEST VIKINGS、The birthdayなどで活動したミュージシャンです。

ミュージシャンとしての一面だけでなく、
作詞家作曲家としても活動していました。

ミュージシャンと表現するよりは、バンドマンという表現が似合う男。

ミッシェル・ガン・エレファント時代のライブでは、
4人おそろいのブラックスーツでの演奏だが、
スーツから汗が滴るほど暑いライブ公演を行うことも。

解散前は、横浜アリーナや幕張メッセなどでの公演もあったが
ライブハウスが似合うバンドだったそう。

2.ミッシェル・ガン・エレファントについて

チバユウスケさんを含む4人組ロックバンド。

結成当初のオリジナルメンバーはチバユウスケのみ。
ファンからは「ミッシェル」「TMGE」と呼ばれることが多く、解散した今も尚ファンが多いバンドです。

バンドでは、ボーカルやギターの他にタンバリンやマラカスなど
様々な楽器を演奏するチバユウスケさん。

代表曲としては、デビュー曲「世界の終わり」や、「バードメン」。
世界の終わり」については、最高傑作とも言われている楽曲です。

また日本だけでの活動だけでなく、ヨーロッパやアメリカなどのツアーも実施。
国内外で果敢にライブ活動を行っていました。

フェスでは、演奏が中断されるほどの激しいモッシュが発生しファンが熱狂したそうです。
青春のバンドだったと思い出す方も多いのではないでしょうか。

伝説の公演として挙げられるのが横浜アリーナ、オールスタンディングの公演。
横浜アリーナでは前代未聞となったオールスタンディング、そのうえ即売。

また、ラストライブの幕張メッセでは約37000人を
動員するほどファンから愛されていたバンドでした。

2003年には、ミュージックステーションにも出演。
衝撃の解散として紹介され、数ヵ月後には解散となりました。

3. ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE”

2003年に解散となったミッシェル・ガン・エレファント。
解散とはなりましたが未だに多くのファンがいる絶大な人気バンドです。

ラストライブのドキュメンタリーとして、
作成された映画が「ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE”」。

舞台裏や未公開映像までが収録された作品が2009年に作成されました。

※映画作成のきっかけは、2009年にミッシェル・ガンエレファントのメンバーが急死し、
追悼プロジェクトを始動(FOREVER MICHELLE -Final works of rockin' blues-)。
その際に、ベストアルバムや、DVD、映画を作成。

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まとめ

日本の音楽シーンを代表するチバユウスケさん。
チバユウスケさんの訃報が発表された時、多くのファンやバンドマンが悲しみ、追悼の意を様々なSNSで表していました。

ミュージシャン、バンドマンのチバユウスケさんを忘れてはいけない。これからもファンの中でミッシェル・ガン・エレファントとしての楽曲、チバユウスケさんは生き続けることでしょう。
そして、バンドを愛する新しい世代にも受け継がれるバンドだと私は思う。

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