永年にわたるTV生産に携わった弊職のTVメーカーのおすすめ


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1. 自己紹介を少々

私は、大阪の守口市で育ち、そこに本社を置く大型総合家電メーカーに
就職しました。

工場は住道にあり、カラーテレビ事業本部の電子部品事業部に所属、
カラーテレビのスピーカー、チューナー、コンデンサー等の主要部品生産を
担当していました。

業務は生産技術で、生産プロセス構築、設備治具設計が主な業務でした。

1996年からは社命でマレーシアに駐在し、
現地で転職も繰り返し2020年に日本に帰国。

2. 体験談

1970年代は、大阪万博をはじめ日本の景気は盛況で、家電メーカーに於いても、
次々に 新商品が現れました。

一般労働者の給料、ボーナスも上昇し購買意欲が高い背景です。

そんな時代に社会人になり、総合家電メーカーに就職できた私は幸運でした。

家電の同業他社との競合が激化し、各社は商品の自社占有率アップのため、
テレビの コマーシャルで当時の有名人を起用し、
強烈にイメージアップを図っていました。

コマーシャルは視聴者に受け、世の中の流行となり商品の売上に
大きく貢献しました。

弊社のカラーテレビのCMの変遷ですが〈うちのテレビにゃ色ガない〉の
エノケンを初め〈黒は強いぞ〉のキャンディーズ他、

〈コスモメディア〉の郷ひろみ、〈異邦人〉の 久保田早紀、
〈帝王〉のジャックニクラウス、所ジョージ等、テレビの新製品が
売り出される度に、 看板となる新しいスターが登場しました。

また、 工場でも、スターのポスターが多く掲示されて休憩時間には
CMの曲が流れました。

まさに会社全体での演出で、立派な商品を、この工場の社員全員で
生み出しているという、喜びと誇りが強い愛社精神を感じました。

この時代、殆どが国内向けを生産していましたが、
北米から大型の受注があり、国内向けは岐阜で、
輸出向けは大阪でと生産拠点が分かれ、
画面も小型から大型に移行が進んでいました。画面は〈ブラウン管〉です。

〈帝王〉という大型で45万円程するTVの販売が始まった時、
売上に拍車をかける施策で社員の当該商品購入のキャンペーンが展開され、
主任以上の役職者は半ば強制購入が強いられました。

また、市場への販売強化として、上新やミドリ、
ヤマダ電気等の量販店への業務応援を任せられる社員も、かなりいました。

私は、小売店応援に呼ばれて、受注を受けたお客様の住居へ、大型TVの〈帝王〉を希望される部屋に据え付けると共に、
アンテナも設置し画像をチューニングするというのが仕事で若いので
体力が有ったから耐えれましたが、苦しさは今も蘇ります。

また〈帝王〉の受注が小売店に有れば有るほど忙しいという事になり、自分にとっては正直、ありがた迷惑を痛切に感じた、忘れもしない体験です。

1996年から指令でマレーシア駐在となり、
出張等でタイ、インド、インドネシア、シンガポールと出張しホテルに
滞在しましたが、殆どの部屋に弊社の小型カラーテレビが、据え付けられ、
弊職の住居も弊社製であった事に満足した。

3. 個人の見解

ブラウン管テレビの体験談が長くなりましたが、
2000年前後より、日本は〈液晶テレビ〉が急速に普及し大型化するなかで
〈1インチ1万円〉と言われまだまだ高額でした。

一時帰国時、店頭で液晶テレビを見て、画面の薄さ、本体の軽さ、
画面の美しさに革命的驚きを感じました。

銘柄を見ると、〈S社の亀山モデル〉とあり感銘を受けました。

思い出せば、S社は大阪万博時に一流各社がパビリオンを設営する中、
設営資金が無くてその資金で将来の為に、

天理市に液晶の研究所を新設し専門技術者を育ててゆく強い方針を立てた。

その社員たちが育ち〈液晶のS社>と明確なスローガンを持つ企業となった。

現在、我が家には〈亀山モデル〉が3台有り
10年以上経つが鮮明で故障一つ有りません。

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4. 個人的感想

テレビ鑑賞は私にとって最大の趣味で、毎日長時間に及び
種々の放送を楽しんでいます。

老若男女、殆どの人が手軽に日常生活で得られる最大の情報収集源でしょう。

今、日本企業が殆どTVのメーカーを撤退した事が流れています。
日本で開発した商品を価格競業の為、モノづくりを海外にシフトしてゆき、
製造だけであったのが次第に設備や 開発のノウハウまで流出してゆきました。

私は25年の海外駐在を終え、2020年に日本に帰国し3年が経ちますが、
正社員が少なく、非正規社員が多く、給料が少ない日本の現状に危機感を
持っています。

冒頭の1970年代は、国民全体にエネルギーと幸福感に溢れていました。
〈液晶のS社〉を述べましたが、日本人は商品を生み出すパワーがあります。

ジャパン アズ ナンバー1〉で世界を席巻し、
メードイン ジャパン〉を国民全員が 誇りに感じていた時代が永く続いていました。

その誇りを再び実現する時代になることを 切望します。 その時、
画期的な日本製のTVの世界への広がりが実現すると感じています。

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