日本史の645年は重要な年なのか掘り下げよう

<はじめに>

日本史を勉強する過程において、必ず出てくる年号である645年
皆さんは何を思い浮かべますか?

真っ先に思いつくことは「大化の改新」だと私は思います。

小学校の教科書にも登場する単語なので、内容が分からなくても、
日本史が苦手な人や嫌いな人でも一度は耳にしたことがある単語だと思います。

今回は日本史645年の出来事、
「大化の改新」について掘り下げていこうと思います。


スポンサードリンク




<大化の改新について簡単に説明>

大化の改新は簡単に説明すると、645年に中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足によって、
蘇我馬子が暗殺され、蘇我氏に変わる新しい支配体制が築かれたという出来事です。

政権を取るために、人を暗殺するという現代では考えられないことが
当時では起こっていたのです。

初めてこのことを知ったとき、私はかなりの衝撃を受けたことを覚えています。

私が政権を取りたい立場にいたら、実力をつけて周りからの評価を高めて、
信頼を勝ち取り、成り上がっていくということをすると思います。

<重要人物>

645年の大化の改新においては重要な人物が複数います。
一人ずつ見ていきましょう。

一人目は「中大兄皇子」です。

中大兄皇子はのちに天智天皇となります。

こちらの名前の方が聞いたことがあるという人もいるかもしれません。

中大兄皇子は推古天皇の甥でもあり、
大化の改新による新体制の下で日本の政治構造を変革した人物です。

私が初めて中大兄皇子について勉強したとき、読み方が分かりませんでした。

初めてこの文字を目にしたときは、
「ちゅうだいあにこうじ」と読んでしましました。

人の名前を読むのは難しいことだということを悟ったときでもありました。

二人目は「中臣鎌足」です。中臣鎌足ものちの藤原鎌足という名前になります。

中臣鎌足は中大兄皇子と協力して大化の改新を行った人物であります。

初めて授業で学習した際に、
クラスの中で「なかとみのかたまり」と答えていた人が
いて印象に残っている人物です。

三人目は「推古天皇」です。推古天皇は大化の改新時点で天皇の地位にあり、
大化の改新においての要でありました。

推古天皇は女性の天皇です。現在は女性天皇が誕生することは考えられないため、
645年頃のように女性天皇が誕生する日本になってほしいという願望が
私を含めて、一定数の人は思っていることなのではないでしょうか?

<なぜ645年に大化の改新が起こったのか?>

645年に大化の改新が起こった理由はいくつかあるとは思いますが、
私なりの考えを述べてみたいと思います。

(歴史学者ではないのでお手柔らかにお願いします。)
私が考えるには、蘇我氏や物部氏の権力が強すぎたからではないかと思います。

朝廷でもない組織が強靭な権力を持っているようでは、
天皇をはじめ、庶民も面白くないし、息苦しさを感じて不満が爆発した結果だと思います。

もう少し蘇我氏の力が弱ければ大化の改新は
起きなかったのではないかと私は思います。

反乱を起こさせるくらいの力がどのくらいなのかは
私たちが暮らす現代では想像することが難しいと思います。

スポンサードリンク




<まとめ>

645年は日本史を勉強する上では欠かすことのできない年号であるということが
分かったのではないでしょうか。

日本においても大きな意味を持つ年であり、政権が大きく変わった出来事であります。

もし、645年に大化の改新がなかったら、
現在の日本はまた違ったものになっていたのではないかと私は思います。

645年の大化の改新のような出来事は今日の日本では起こらないと考える人が多数だと思います。

ですが、もし起きたらどのような世の中になるのだろうと
考えてみると歴史を勉強するときも少しは違う視点で楽しめるのではないかと私は思います。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA