戦国時代の結婚年齢は何歳ごろ?戦国大名のロリコン疑惑?若すぎる夫婦たちの物語

晩婚化の時代と言われて久しい日本。

2021 年の調査によると平均初婚年齢は男性 30.7 歳、女性29.1 歳です。
(国立社会保障・人口問題研究所「第 16 回出生動向基本調査」/2021 年)

私ももうアラサーですが、母には「私があなたの年のころには、
もうあなたが生まれていたのよ!」とせっつかれています。

私の母がそうだったように、昔は今よりも結婚年齢が低いイメージがあると思います。

では、もっと昔はどうだったのでしょう。
今回は戦国時代の結婚年齢についてお話します。

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●10代が当たり前!若すぎる夫婦

戦国大名の結婚はほとんどが政略結婚。

そのため、本人の意向はまったく関係ありません

その家の当主(父親)によって幼いうちから
結婚相手が決められるということがままありました。

男性は元服や初陣を迎えた 15 歳、女性は初潮を迎えた
12 歳ごろが結婚適齢期とされていました。

有名な武将の例を見てみましょう。

織田信長 15 歳、濃姫 15 歳
豊臣秀吉 26 歳、ねね 14 歳
徳川家康 15 歳、築山殿 18 歳

豊臣秀頼と千姫の11歳7歳という例もあります。

皆さんならどうでしょう?

小中学生の時に結婚を考えたことはありましたか?
私は全く考えたことがありませんでした。

こんな若い時に結婚して大丈夫なの?という方もいらっしゃるかもしれません。

安心してください。

秀頼と千姫のような年端もいかない子供同士の結婚の場合、
はじめは仮の夫婦として暮らし、適齢期になったら、
正式に夫婦になる
というパターンが多かったようです。

とはいえ、「人間50年」というくらいですから、
平均寿命は現代よりもかなり短かったことがうかがえます。

平均寿命は大名の場合は42歳、庶民は30歳程度だったと言われています。

現代では80歳以上の方もたくさんいますが、当時は生きるだけで大変な時代でした。
それを考えれば、結婚年齢が現代の半分程度なのも無理ないかもしれません。

●愛よりも権力!政略結婚の悲劇

戦国時代において政略結婚は、
大名家同士の力のバランスを保つための重要な一手。

一方で、政略結婚が引き起こす悲劇や争いも少なくありませんでした。
結婚を通じて繋がった家族に助けられることもあれば、
足元を掬われることもあったのです。

浅井長政(22)と織田信長の妹お市(20)の結婚は、まさに政略結婚の典型。
※二人の結婚時期については諸説あります。

しかし、二人の間にはいつしか愛が芽生えたとも言われています。

後に長政は信長を裏切り、姉川の戦いに敗れて滅亡。

お市は茶々、初、江の三姉妹を連れて織田家に戻りました。

長政とお市の物語は、戦国時代の結婚が単なる個人の問題では終わらないという
悲しい例と言えるでしょう。

●やっぱり愛こそすべて?戦国のベストカップルは?

有名武将の結婚年齢の例の中では豊臣秀吉の26歳は、
今からしても普通な感じがしますね。
結婚年齢の早い、遅いにはどのような違いがあったのでしょう。

簡単に言ってしまうと、身分の違いでした。

戦国時代でも、政略結婚をする必要がなかった身分の人々の初婚年齢は男性20歳
女性16歳ごろだったようです。

男性はある程度、経済的に自立している必要もあったために、
遅かったというのもあるでしょう。

結婚当時、秀吉はまだ足軽。木下藤吉郎と名乗っていた時代です。
2人は当時珍しかった恋愛結婚でした。

今では普通になっていますが、
数年の同棲期間を経たのちに結婚したと言われています。

ねねの内助の功のおかげで出世した秀吉。

にもかかわらず、秀吉は生粋の女好きで知られています。

側室の数は20人ほど。

手を付けた女性やなどを含めると、
一説には愛人は300人というものまであります。

有名な側室の淀殿(茶々)との年の差は32歳

「しょせん男は…」とねねが考えたかどうかはわかりませんが、
秀吉57歳で、淀殿が秀頼を生んだときは、ねねを気遣ってか、
手紙のなかで「子どもなど別に欲しくなかった」と書いています。

秀吉とねねの間に子供はできませんでしたが、
秀吉はねねを敬愛し、大切にしました。

側室を持たず、愛妻家で知られた大名もいました。

NHK大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公、
明智光秀と煕子は有名なおしどり夫婦です。

光秀の浪人時代、収入がなく苦しい家計を、
煕子は自身の黒髪を売るなどして支えました。

そのおかげで光秀は朝倉義景に仕官することができたのです。

同じく大河ドラマ「天地人」で話題になった直江兼続とお船も
仲の良い夫婦として知られています。

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●まとめ

戦国時代の結婚は、現代から見れば、若すぎたり、愛のない政略結婚をしたりなんて
考えられないものかもしれません。

でも、政略結婚も、ある意味では人々が家族を大切にした証でしょう。
そう考えれば、共感できる部分もありませんか?

「結婚」が人生の一大イベントであることは今も同じ。
そんな中で、愛する人に出会えることは、どんな時代も奇跡と言えるのかもしれませんね。

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