幕末から明治維新をわかりやすく。しくじりが全ての始まり

明治維新の始まりは老中阿部正弘、15代将軍徳川慶喜がしくじりを犯した?!

しくじりさえなければ明治維新後、徳川は首相に成れたのではないか説!

 

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1.江戸幕府の権威失墜が全ての始まり。

明治維新の始まりは皆さんご存じのとおり、
ペリーの黒船が来たことによる開国に反対する攘夷運動から始まります。

その中で幕府の対応は二転三転し、あたふたし、
朝廷や各藩の思惑が絡み合って、朝廷VS幕府という構図になっていきます。

もう誰が誰だか分からない。

幕末から明治維新はいろいろ複雑で覚えることも多いですね。

幕末から明治維新をわかりやすく。

しくじりが全ての始まりということを意識していれば流れが分かります。
私が注目したいポイントはココです!

朝廷にも開国に反対する尊王攘夷派、開国派、幕府にもそれぞれおりましたが、
決定的なことは、いままで幕府の運営は、権威は幕府が決めたことを守らせる。

それが権威となり、要は上からのコントロールで成り立っていました

それがなんと老中阿部正弘さんはみんなの意見を聞こう。

そうだ朝廷の意見を聞こう!としてしまったのです!

それが求心力を失わせ、朝廷支持派の勢いを増してしまいました

みんなの意見を聞こうとしたスタンスであったのに追い込まれ、
幕府の井伊直弼は、朝廷の許しを得ずに条約を結んでしまいます。

これに反感をもった志士に暗殺されてしまいます。

この幕府の権威を落としてしまったことが天皇を中心とした政府を
作るきっかけになったかも知れませんね!

幕末から明治維新をわかりやすくポイントを抑えるには、しくじりを覚えると良いですね。

そうです!しくじりをしたのは阿部正弘さん?!

ペリーであろうが誰であろうが朝廷に意見を聞いたのが間違い。

鎌倉時代から続いていた武士の世の中を終わらせた引き金は
幕府の阿部正弘さんが引いてしまいました?!

2. そして長州征伐から戊辰戦争

どんどん落ちていく幕府の権威。幕末から明治維新をわかりやすく。

次のポイントはココです!

権威が落ちたのは、長州藩への討伐が失敗に終わったことです。

幕末で力を持っていた藩は長州藩と薩摩藩。最初、長州藩は朝廷側。薩摩藩は幕府側でした。

長州と薩摩は戦うこともあり、
もともと険悪な仲であったのを坂本竜馬の大活躍でなんと同盟までするのですね(薩長同盟 1866)

怒った幕府は討伐軍を出すのですが、逆に返り討ちに・・・悲しい。

徳川慶喜は船で江戸に帰るわけです。(第2次長州征伐 1866)

冷静に考えれば、力を強大にもった薩摩藩と長州藩。

これを相手にするにはそれ相応の準備が必要。

徳川慶喜のしくじりですね。

幕府も諸外国と取引があったわけですから、
新たに武装して江戸に引きこもることもできたはずです。

幕府の権威は地に落ち、慌てた幕府はなんとか延命を図ろうと
政権を天皇に変換しました(大政奉還 1867)。

しかし、ここで終わらない。

徳川家が新政府に関わることを不満とした勢力が、徳川を外してしまったのです。

これに怒った武士が各地で反乱を起こしました。

しかし、近代化された新政府軍に反乱軍は負け嗣けるのです。(戊辰戦争 1868)

もし、第2次長州征伐を行わず、江戸で諸外国の助けを借り、武装しておれば、
朝廷は、人口の多い江戸を焼き尽くすことは多分なかったのかなと。

ここは手打ちし、徳川も新政府に入れていれば、徳川の誰かが首相になっていたかも知れません。
 

3.時代は江戸から明治へ

幕末から明治維新をわかりやすくいえば、
明治維新は武士の世から天皇を中心とする世へ。

また、250年余り閉ざしていた日本を世界に開放しました。

また、幕府を倒して大活躍した薩摩藩、
長州藩からは新たなスターが誕生します。

薩摩から西郷隆盛、多久保利通、長州からは木戸孝允、伊藤博文などなど。

この人物を中心にして時代は、幕末から明治へと動いて行きます。

幕末から明治維新をわかりやすくいえば、徳川家の一掃ですね。

しくじりさえなければ、明治政府以降首相になったかも知れないですね。

大政奉還をしくじらなければ、
第2次長州征伐をしくじらずにいればと思ってしまいます。

余談ですが大久保利通は人気がない。

これだけ明治維新に関わったにも関わらずその不人気ぶりは大河ドラマを見て分かりますね。

一度も主役がない!西郷隆盛は何度か主役でドラマになっておりますが。
大久保利通主役の大河ドラマを見てみたいですね。

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・最後に

幕末から明治維新をわかりやすくいえば、誰かがしくじり、
そのしくじりからすべてが始まっています。阿部正弘さん、徳川慶喜さん。

新政府は、諸外国に追いつき追い越せで改革をした結果、
日本は世界の大国に入るまでになります。

しかし、余りに急ぎすぎた結果、後に次々と世界の争いに加わることにもなります。
日清、日露戦争、第一次大戦、第二次世界大戦などなど。

明治維新がなければ第2次世界大戦に加わることもなかったのでしょうか。

はたまた世界のどこかの国の植民地として各戦争に駆り出されていたのか。
歴史にif(もしも)はないですが、if(もしも)を考えるのは面白いですよ! 

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