太宰治ってどんな人だったの?その生涯と印象的なエピソードを紹介します!

日本の有名な小説家の1人に太宰治という人がいます。

有名な作品に『人間失格』『走れメロス』『斜陽』などがあり38年という
短い生涯の中で多くの小説を生み出しています。

特に『人間失格』は夏目漱石の『こころ』と文庫本の累計販売部数の1位を
常に争っており累計670万部以上となっており長く多くの人に支持されています。

そんな有名な作品を多く残している日本人作家ですが
「太宰治ってどんな人だったの?」と疑問に思われる人は多いのでは
ないでしょうか?

作品は読んでいるけれど作者については知らないというのはよくあると思います。

私も好きな作家がいてその人の作品はたくさん読むけれど
その人がどんな人だったのかまで調べた事はありません。

そこでこの記事では「太宰治ってどんな人だったの?」という疑問に答えるために
その略歴と印象的なエピソードについて書きます。

これまで「太宰治の作品は読んでいたけどどんな人なのか気にしていなかった」
という人が「太宰治についてもっと知りたい」
そう思っていただけると幸いですので最後までお付き合いください。

スポンサードリンク




●「太宰治ってどんな人だったの?」①

*彼の略歴について書きます。

太宰治は1909年に青森県北津軽郡金木村に住んでいた有力者の第6男
として生まれました。

21歳まで青森県の学校に通い弘前高等学校文科を卒業後にフランス文学に憧れて
その勉強のために上京して東京帝国大学文学部仏文学科に入学します。

この頃に小説家になるために井伏鱒二の弟子になりました。

そして芸者の小山初代と結婚するのを許してもらう条件として
実家と縁を切っています。

そこまでして結婚に踏み切った太宰治でしたが妻一筋というわけではなく
その後愛人を作り共に命を絶とうとまでしています。

その際に女性は亡くなるものの太宰治が生き残りその経験をもとに
小説『斜陽』を書きベストセラーになりました。

その後小山初代と別れた太宰治は29歳の時に師匠井伏鱒二が紹介してくれた
石原美知子と結婚しこれまでのだらしない生活を改善し家庭を守り、
正しく生きる事を決意します。

この頃、精神的に安定してきた太宰治は『女性徒』『走れメロス』などの
名作を残しています。

このまま順調に進むかと思われた太宰治の人生ですが
38歳の時にまた愛人と共に命を絶つ事を決意しその時に亡くなっています。

人の人生はそれぞれ平凡ではあっても一つの物語であると私は思っているのですが
作家であると同時に彼は自分の人生すらも
作品として捉えていたのではないかと思ってしまう程に短いながら
劇的な人生を送っています。

●「太宰治ってどんな人だったの?」②

*芥川賞がどうしても欲しかったので抗議文を送る過激な一面があります。

太宰治は芥川龍之介を尊敬していました。そのため小説家になってからは
芥川賞に作品を応募するのですが審査員から「人間として欠陥がある」と
酷評されてしまいます。

その評価に怒った太宰治は審査員に対して抗議の手紙を送りつけています。

女性については色々と付き合っていて一途とはほど遠い彼ですが
文学に関してはブレない思いがあった事が分かるエピソードです。

●有名日本人作家「太宰治ってどんな人だったの?」②

*晩年に会った人物の証言からはとても穏やかな一面も見えてきます。

太宰治の遺作である『人間失格』が書かれていた旅館や飲食店の従業員からは
執筆中や執筆完了時に意外な一面があった事を話してくれています。

執筆完了時は子どものように喜び、全編を通して重く暗い作品を書いている時でも
明るく優しく接してくれる穏やかな人だったと証言されています。

ここからはこの穏やかな一面についての私の考えです。

太宰治の自伝でもあるとされている『人間失格』で主人公は周りの人間が
望んでいる人物像を演じ続ける幼少期だったと書かれています。

穏やかそうに見える一面も彼らが自分に求めている姿を
演じていたのかもしれないと感じています。

簡単に真意を読み取れない本当に奥の深い人物だと感じられるエピソードです。

スポンサードリンク




●まとめ

ここまで「太宰治ってどんな人だったの?」という疑問に答えるために
その略歴と印象的なエピソードについて書きました。

受け取る人それぞれに違った人物像が見えてくる面白い人物ですので
ぜひあなたの「太宰治はこんな人」という答えを見つけて欲しいです。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA