ドジャース大谷翔平は母子家庭!?家庭事情の真実に迫る!

いきなり結論を言ってしまえば、大谷翔平選手は母子家庭ではありません

しかし、この記事ではドジャース大谷翔平選手の家族事情について詳しく説明します!

最後まで読み進めて頂くと、大谷翔平選手の家族がどのように野球人生に影響を与えてきたのか、
理解できると思いますので、是非最後までお付き合いください。

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⚫️母子家庭の真実

大谷翔平選手は母子家庭という疑惑がありますが、

大谷翔平選手は母子家庭ではありません

両親とも日本に住んでいます。父親は高校卒業後に出身校のOBの紹介で
三菱重工横浜のセレクションを受けさせてもらい、社会人野球選手としてご活躍されていました。

母親は中学時代では神奈川県の代表としてバトミントンの全国大会に出場すると、
準優勝という輝かしい功績がありました。高校時代もインターハイに出場していました。

そして、三菱重工横浜に入社されました。

父親は三菱重工横浜の野球部を引退。同時期の母親と出会い、ご結婚されました。

⚫️兄も野球選手?

大谷翔平選手にはお兄さんお姉さんがいます。

大谷翔平選手のお兄さんは幼少期は、地元のスポーツ少年団で野球をしていました。

中学時代では軟式野球部でご活躍されました。

高校時代では岩手県立前沢高等学校でも野球部に入学、
卒業後は一般企業に勤務しながらクラブチーム水沢駒形野球倶楽部に所属しました。

2010年に、四国・九州アイランドリーグ(現在•四国アイランドリーグplus)の
高知ファイティングドッグスに入団。

高知では初年度は74試合に出場して打率.205・本塁打2・打点9・盗塁12でした。

2011年は62試合に出場して打率.227・本塁打2・打点14・盗塁3の成績でした。
2011年シーズン終了後に退団を決意。

2012年に、父親が勤務する自動車メーカーで新たに発足する硬式野球部トヨタ自動車東日本硬式野球部に入団。

コーチ兼任を経て、現在は引退してコーチを専任しています。

⚫️家族の支え

大谷翔平選手は、幼少期の頃から水泳やバトミントンが好きだったようですが、
お兄さんの野球をそばで見ていくうちに野球に関心を持つようになったそうです。

父親から大谷翔平選手に一度も野球をやるように強制はしなかったようです。

小学2年生からリトルに入団後に父親から野球を教え込まれたそうです。

父親との「野球ノート」父徹さんと翔平選手で
小学校・中学生時代に、大谷翔平選手の両親は交換日記を続けていました。

良かったこと、悪かったこと、これから何を練習するか

試合後などに大谷翔平選手が書いたものを、父親が確認して、アドバイスを行なっていたようです。

母親からは大谷翔平選手がエンゼルス移籍後もオフシーズンには、
身の回りの世話や、食事を作ってもらってるそうです。

息子に甘えたくないと、エンゼルスに移籍する前まで飲食店でパートをするなどしていたようです。

大谷翔平選手は贅沢な暮らしを好まない人で、母親も同じ金銭感覚を持っています。

大谷翔平選手は「家族が一番大切な存在」だと語っており、
野球人生での大きな支えと伺われます。

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まとめ

今回は、大谷翔平選手の母子家庭の真実と野球人生を支えてきた家族について紹介してきました。

父親との野球ノートで野球を熱心に教えてもらえる所に感動しました。

大谷翔平選手は家族の存在が野球人生を支えていました。このご家族だからこそ大谷翔平選手というメジャーリーグという大きな舞台でご活躍する選手を育ってられたというのがわかりました。

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