チバユウスケの代表曲とは?唯一無二のロックボーカリストの物語

2023年11月26日チバユウスケが亡くなった。

享年55歳。

唯一無二のロックボーカリストであるチバユウスケの残した代表曲を探ってみたいと思う。

まずはチバユウスケの基本情報から。

1968年生まれ。神奈川県藤沢出身でバンドを組むのは高校時代から。

1988年にミッシェル・ガン・エレファントを結成、
1996年にメジャーデビューしている。

チバユウスケの特徴はなんと言ってもあの独特なしゃがれボイスにある。

あの声を真似て出すのは難しく、仮に出せても数曲歌うのは困難なしゃがれボイス。

唯一無二のロックボーカリストのチバユウスケはどんな曲を歌い生きてきたのか?
まずはデビュー曲の「世界の終わり」から探ってみよう。

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●チバユウスケの始まり

*「世界の終わり」ミッシェル・ガン・エレファント


1996年ミッシェル・ガン・エレファントのデビューシングル「世界の終わり」が発売される。
この曲はデビュー曲にして代表曲でもあり、解散ライブの最後の曲でもある。

個人的な話だがこの曲をバンドでカバーした事がある。
疾走感が大事な曲でテンポは速めに、俗にいう「走り気味」に演奏するのがポイント。

偉そうな事を言っているがこの曲を原曲テンポでやるバンドはいない。

ミッシェル・ガン・エレファントも走り気味で演奏している。
意図してではなく自然とそうなってしまう曲なのだ。

よってこの曲は断然ライブ盤をおすすめする。
早いテンポのなかでしゃがれるチバユウスケのボーカルは必聴である。

●チバユウスケの転換期

*「G.W.D」 ミッシェル・ガン・エレファント


ミッシェル・ガン・エレファントで一番売れた曲が1998年発売の「G.W.D」である。

「G.W.D」とは「がなる」「われる」「だれる」の頭文字をとっている。

この時期はテレビの音楽番組にもよく出ていてしゃがれボイスを響かせていた。

ちなみに売れたCD枚数は10万枚程度。

CDの売れてる時代の枚数としては寂しいが、
ガレージロックというジャンルの中では記録的数字でもあった。

この曲ミッシェル・ガン・エレファントお得意の
「ベース始まり⇒ドラムが入って⇒ギターのリフでイントロ」という必勝パターンの曲構成。

推測だがスタジオセッションで出来た曲だと思う。

歌詞のサビもリフに合わせた適当な歌詞だし。

こういう構成の曲、歌詞はミッシェル・ガン・エレファントがセッションバンドであり、
作曲クレジットが「ミッシェル・ガン・エレファント」となっているのはその為である。

●チバユウスケの最初の終わり

*「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」ミッシェル・ガン・エレファント


2003年ミッシェル・ガン・エレファントが解散を発表する。

同年6月に音楽番組に出演するがここでt.A.T.u.ドタキャン事件が起こる。

チバユウスケが亡くなった時もエピソードで散々取り上げられていたが、
この事件を救ったのが唯一のバンド出演であった
ミッシェル・ガン・エレファントだったのである。

事件の詳細はさておき演奏された曲がミッドナイト・クラクション・ベイビー。

ここでチバユウスケはタンバリンを打ち鳴らしながらしゃがれボイス歌っている。

そうチバユウスケは色々小道具を使うボーカリストでもある。

タンバリンの他にもマラカス、ブルースハープなど。
ギターも持つことがあるが個人的には手持ち無沙汰なので持ってるだけではないかと思う。

「歌ってるときはいいけど歌ってないときはやる事ないな」的な事からギターを持つボーカルは
意外と多い。

タンバリン、マラカスは練習もそんなにしなくていいしお気軽だ。

もしくはカラオケバーの常連でタンバリンが得意だったとか?そんなわけない(タモリ風)

この事件から3か月後にミッシェル・ガン・エレファントは解散。

もちろんt.A.T.u.(ロシア)は関係ない。

●チバユウスケのフリー時代

*「I'M FLASH」I'M FLASH! BAND


ミッシェル・ガン・エレファントは2003年に解散するが
チバユウスケは解散後様々なバンド、企画ユニットなどで活動している。

そのなかで「I'M FLASH」という曲はチバユウスケの少ないカバー曲の代表曲である。

オリジナルはシーナ&ロケッツ(通称シナロケ)。

チバユウスケが亡くなった2023年にシナロケの鮎川誠も亡くなっているのだが、
シナロケのカバーをしていたのは個人的に感慨深いものがある。

ちなみにチバユウスケの音楽性に謎のロックジャンル明太ロックが大きく影響している。

チバユウスケがルースターズ好きなので間違いないと思うが、
明太ロックとしゃがれボイスは相性がよく、
博多のしゃがれバンド横道坊主のボーカルも切ない系しゃがれボイスの持ち主である。

横道坊主とのセッションも見たかったなぁ。

●最後のチバユウスケ

*「LOVE ROCKETS」 バースデイ


ミッシェル・ガン・エレファント解散以降ふらふらとしゃがれて歌っていたチバユウスケだが
2006年にバースデイを結成。

ロックバンドで再始動する。

2023年亡くなるまで活動したバンドで、
曲は色々あるが紹介する代表曲は映画スラムダンクのオープニング主題歌のLOVE ROCKETS。

映画の主題歌は10‐FEETが歌ってるが映画のオープニングはこの曲で始まる。

ちなみに紅白で10-FEETがチバユウスケと叫んだのはこのため。

チバユウスケが最後に作った曲なんだけどお得意の
「ベース始まり⇒ドラムが入って⇒ギターのリフでイントロ」の曲でもある。

やっぱ最後は王道パターンで。

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●さいごに

チバユウスケの代表曲を振り返ってみたが、
個人的に思い入れがあるミュージシャンなので選曲に困ってしまった。

最初にチバユウスケの事を書くならこのエピソードしかないなという話をひとつ。

1998年にミッシェル・ガン・エレファントがフジロックに出演するのだが、
ライブ中のMCで「俺たちが日本のミッシェル・ガン・エレファントだ!」と叫ぶシーンがある。

当時洋楽至上主義な日本の音楽業界に宣戦布告とも言えるこの叫びは
その後の音楽シーンを大きく変えたと言えるだろ。

と言うのは言い過ぎだろうか。たぶん言い過ぎ。

でもこの時代に生きてたバンドマンはみんな思ってた。

そう俺達にはミッシェル・ガン・エレファントがいる。

もっと日本の音楽を信じて聴こうと。
でも実際は安い海外輸入盤のCD買っちゃうのよね。

円高(当時)万歳。財布に優しい洋楽も隠れて聴いていました。
ごめんねチバちゃん。

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