チバユウスケとベンジー|日本のロック界を牽引する二人のスター

1990年代、日本のロック界に大きな衝撃をもたらす2つのバンドが現れた。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント・以下TMGE)と
BLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ・以下BJC)だ。

それぞれのフロントマンでありボーカリストでもあるチバユウスケとベンジー(浅井健一)は、
日本のロックシーンに多大な影響を与えるとともに、
邦ロックの地位を高めた存在だと言えるだろう。

この記事では今もなお多くのバンドマンに影響を与え、
日本のロックシーンを牽引する2人について紹介したいと思う。

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1 チバユウスケ&ベンジー【略歴】

まずは彼らの経歴を簡単に紹介しよう。

※1 チバユウスケ


1968年生まれ、明治学院大学在学中に結成したTMGEで1996年にメジャーデビュー。

チバユウスケがデビュー前のコンベンションで、
レコード会社の関係者に放ったとされる「日本のロックをダメにしたのはお前らだ!」という言葉は、

ファンの間では語り草となっている。そう聞くと無骨な印象を受けるだろうが、
実際の彼は非常に仲間思いで心優しい人間だったと思う。

2002年のTMGE解散後は、元BJCの照井利幸とともに結成したROSSOを軸として活動。

2002年に発売されたアルバム『BIRD』に収められている『シャロン』は、
ファンの間で好きな一曲として名が挙がる名曲だ。

2006年にROSSOを活動休止した後、チバユウスケは旧友クハラカズユキとともに
The Birthdayを結成する。

TMGEがガレージロックやパンクロックと称されるのに対し、
The Birthdayは骨太でソリッドな音楽ながら美しい旋律が特徴だ。

さらに2010年にギタリストとしてフジイケンジが加わってから、
より音に厚みと円熟味が増していったように思う。

The Birthdayとしてのライブ活動を精力的にこなしながら、
自分たちよりも若いバンドから対バンの申し込みがあっても断らない姿勢で、
毎年多くのライブを行っていた。

それと並行してチバユウスケ自身のソロプロジェクトであるSNAKE ON THE BEACHや
ファッションブランドであるRUDE GALLERYとのアパレル制作、
DJ活動、フォトグラファーと、多岐にわたって活躍していた。

※2 ベンジー(浅井健一)


ベンジーこと浅井健一は1964年生まれ、高校中退後1987年にTHE BLANKEY JET CITYを結成。
当時アマチュアバンドの登竜門であった「イカ天」を経て、1991年にメジャーデビューした。

4thアルバムからバンド名のTHEを抜いて、BLANKEY JET CITYを名乗り始める。

1996年にBJCと平行してSHERBET(後のSHERBETS)の活動を開始。

BJCのメンバーそれぞれがソロプロジェクトを活発化させる中、
2000年にBJCは惜しまれつつも解散する。それ以降はSHERBETSや2002年に結成したJUDEなど、
多くのバンドを結成し精力的に活動。

2016年には元NUMBERGIRLのベーシスト中尾憲太郎を迎え、
浅井健一&THE INTERCHANGE KILLSを結成。(後に中尾憲太郎は脱退)

ベンジーもチバユウスケ同様、アパレルや絵画など音楽以外にも活動を広げており、
ライブの物販デザインもほぼ彼が手がける。

また下北沢にてHAMMER HEAD CURRYという名のカレー屋を開いていたこともある。

BJCがパンクロックの要素が強いのに比べ、SHERBETSや浅井健一&THE INTERCHANGE KILLS、
また浅井健一名義のソロではメロディアスな曲も多く占めるのが特徴である。

2 チバユウスケ&ベンジー【愛用ギター】

チバユウスケはTMGE時代からThe Birtdayまでグレッチを愛用していた。
TMGE時代は主にギターはアベフトシに任せて、一部の曲でバッキングをするにとどまっていた。

しかしながらROSSO以降ではテネシーローズやテネシーブラックなどを使用し、
ギタリストとしてもしっかりと音を鳴らしている。

ROSSOの『シャロン』のミュージック・ビデオでは、
彼がホワイトファルコンを弾いている姿が見られるので必見だ。

The Birthday時代は長らく、ライブでホワイトファルコンを使用している姿を見ることがなかった。

しかし幸運にも筆者は2019年のアルバムツアー「VIVIAN KILLERS」で、
彼がホワイトファルコンをかき鳴らす場面に立ち会うことができた。

彼がホワイトファルコンを手にした瞬間、会場中が色めきだったのを今も鮮明に記憶している。

ベンジーが一貫して愛用しているギターもグレッチで、彼はテネシアンを愛用している。

椎名林檎ファンだったら『丸の内サディスティック』の
「そしたらベンジー、私をグレッチで殴って」という歌詞でご存じかもしれない。

彼は30年以上にわたり同じテネシアンを愛用し、彼の相棒となっている。
また2020年グレッチから、浅井健一シグネチャーモデルが発売されている。

3 チバユウスケとベンジー、その魅力

チバユウスケとベンジーの魅力と言えば、そのがあげられるだろう。

チバユウスケが独特のしゃがれたシャウトのような声なら、
ベンジーはわざと音程ギリギリを攻めているような独特のある歌い方をする。

どちらも中毒性が高く、唯一無二の声だと思う。

曲に関しては時代によって変わるものの、チバユウスケはコード進行が単調ながらも
旋律がしっかりとしている。

彼は幼少期からバイオリンを習っており、
その影響が大きいのではないかと推察する。

それに対しベンジーは時にコード転調を行うなど、複雑なコードなものが多い。
ベンジーの声も相まって、危うい魅力を感じる人も多いであろう。

歌詞については、二人とも同じような言葉選びが散見される。
チバユウスケが『ブラック・タンバリン』という曲を出せば、
ベンジーは『赤いタンバリン』という曲を出す。

タンバリンと言えばチバユウスケがROSSO時代に出した『1000のタンバリン』も
忘れてはいけない名曲だ。目の前にまざまざと情景が広がるような切ないメロディーと歌詞は、
どこか遠い異国に連れ去られるような感覚に陥る。

そして二人はよく食べ物を歌詞に入れることが多い。

※歌詞引用
ハムとビール 君はパンケーキ
ブルーベリーが 楽しそうで
<引用:The Birthday/青空>

サンドイッチに トマトはさ 入れないで欲しいよ
パンの耳は 切らないで 結構それは重要
<引用:The Birtday/プレスファクトリー>

フィッシュ&チップスに ビネガーかけて
タルタルソース つけずに食べる
<引用:浅井健一&THE INTERCHANGE KILLS/Vinegar>

ソース作る ハラピニオとトマト潰し
かき混ぜるのさ レンジは古い車のグリル
<引用:浅井健一/ハラピニオ>

しかし言葉選びが似ていてもチバユウスケが詩人であるのに対し、
ベンジーは私小説家だと筆者は思う。

ベンジーの『赤いタンバリン』は、我が子への愛情を書いたものだと言われている。

対してチバユウスケの『ブラック・タンバリン』は、
湧きあがる衝動をぶつけているかのようだ。だがチバユウスケも愛を歌っていた。

ここで筆者の好きな彼の歌詞を紹介したいと思う。

※歌詞引用
もしも君が汚い大人にだまされたら
僕が君を助けにゆく 僕が君を助けにゆく
オリーブ オリーブ オリーブ
僕はただの汚い大人になったから
何が悲しいことだか わかんなくなって笑ってる
<引用:OLIVE/The Birthday>

TMGE時代しか知らないファンにしたら、意外に思う歌詞ではないだろうか。
まるで子を慈しむ親の心情を表したような曲だと思う。

特にThe Birthdayの7thアルバム『COME TOGETHER』からは、
ストレートに愛や平和について歌っていたように思う。

チバユウスケといえばTMGEが取り上げられることが多いが、
筆者はTMGEで止まっているファンの方々に是非The Birthdayを聴いてもらいたいと思う。

The Birthdayはチバユウスケが未来を見据えて活動し、
生涯にわたって続けようとしたバンドだった。

彼がクハラカズユキやフジイケンジ、ヒライハルキの4人で紡ぎだした音楽を、
どうか聴いてみてほしい。

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3 永遠に鳴りやまない、チバユウスケとベンジーの音楽

この記事に辿り着いた人の多くは、チバユウスケの訃報を耳にしているかと思う。

彼の訃報に際し、盟友であったベンジーはSNSで追悼の言葉を表した。
「チバユウスケ氏のご冥福を心からお祈りします。

残念でなりません。悲しいし。大きな存在がこの世からいなくなってしまいました」

チバユウスケは死んだ。しかし彼のとんでもない音は永遠に鳴り響くし、
ベンジーも褪せることのない音楽を我々に届けてくれることだろう。

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