ケビンコスナーのダンスウィズウルブズって?ケビンコスナーの生い立ちとキャリア!

世界的にも権威あるアカデミー賞を7部門も受賞するほどの作品、
監督・主演ケビンコスナー『ダンスウィズウルブズ

この記事では彼の生い立ちから始まりこの作品が
彼のキャリアを変えるまでの道のりをたどります。

最後まで読み進めるとハリウッドのトップスターで元妻からの
『請求100億』などのド派手なnewsで溢れる一流のトップスターになる前の、
人間ケビンコスナーが今日までどんな精神の熱量で行動してきたのか?

いかにして周囲の人間に認められてきたのか?

彼の周囲までをも突き動かす原動力や彼1人では到底到達出来なかった盟友との
一流のハリウッドスターへのキャリアアップについてを見ていきましょう。


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●ケビンコスナーについて

ケビンコスナーは1955年にカリフォルニア州ロサンゼルスの郊外である
リンウッドで生まれました。

ケビンコスナーは少さな時から野球やアメフトに熱中する少年で
ハイスクール在学時には全米選抜に選ばれた経験もあります。

この事からも分かるように小さな頃から「これ!」と決めた事には
熱中して取り組み続ける性格である事がうかがい知れますね!

ハイスクールを卒業したのち大学で経営学を専攻します。

卒業間近、彼は演技に興味を持ち演技を習い始めたものの
大学を卒業して就職をします。そんな時、彼に面白いエピソードが起こります。

ケビンコスナーは旅行で飛行機に乗っている際にアカデミー賞に
何度もノミネートされた名俳優、リチャードバートンと同じ飛行機に乗ります。

その頃のリチャードバートンは名俳優のキャリアを不動のモノにした
誰もが憧れる存在。 ケビンコスナーはリチャードバートンに話しかけます。

ケビンコスナー(以下、コス)『バ、バートンさんですか?…』

リチャードバートン(以下、バート)『あん…?』

コス『マジであなたの事尊敬してるんです!!!』

バート『口だけのヤツはいいんだよ。どっか行けよ。』

コス『ほ、本当なんです!俺演技やってて!!』

バート『わかんねーヤツだな〜!!どっか行けっつてんの!!』

コス『マジなんです!!!』

バート『合格。お前。』

コス『え?』

バート『最高よ。お前のメンタリティ。ナンバ1よナンバ。。。。
ナンバ1よりのナンバ1よ。いけんよ。』

コス『マジッスか?』

そんなやりとりがあったか定かではありませんが
リチャードバートンはケビンコスナーに俳優を続けた方が良いと伝えました。

リチャードバートンに背中を押されてやる気になったケビンコスナー。
こうなった彼を誰も止められません。

就職した会社を思い切って辞めたケビンコスナーは俳優として仕事をスタートします。

セリフが一言の役でも積極的にこなしていきます。

少しずづ実績を積んで実力をつけていくケビンコスナー。

しかし中々ハリウッドのトップスターとして認められません。

それでも頑張り続けます。1987年の32歳の頃に『アンタッチャブル』で主演を務め

この映画で遅咲きながらハリウッドのトップスターとして周囲に認められます。

32歳という年齢でも一流のハリウッドスターになれる事を証明し諦めずに
突き進んでいく精神は

生きていく上で諦めずに前に進もうとする人の背中を押してくれる
素晴らしい見本の様な生き方ですよね!

●燻っていた天才と天才の化学反応

『ダンスウィズウルブズ』を語るのに脚本家のマイケルブレイク
外す事は出来ません。

彼はカリフォルニアのバークレにある映画学校で映画について学んだ後、
1983年作、映画『ギャンブラーズ/最後の賭け』の脚本を書くチャンスを手に入れます。

個人的に〝この映画は所詮、B級のインディーズ映画の範囲を
抜け出す事が出来ていないな。〟と
作品を見た私は思いましたが

マイケルブレイクにとってはとても大きな出会いがありました。
この映画で主演を務めたケビンコスナーです。

この頃のケビンコスナーはまだ歴史に名を残す作品を作っていませんでした。

ギャンブラーズ/最後の賭け』以降、
脚本家としてのマイケルブレイクをケビンコスナーは励まし続けました。

ある時ケビンコスナーはマイケルブレイクにアイデアを出します。

〝ある作品を小説にして発表しよう。〟小説として出す事で
〝映画の供給会社の目に留まり映画化出来るのではないか?〟と考えたのです。

マイケルブレイクはこの作品を『車の中で全て書いた。』と話しており、
私の勝手な想像ですが40歳過ぎでそれまで名作らしい作品を作っていない人生の
崖っぷちにいて追い詰められた彼は

この作品を作ることに
『命かけちゃるううう!』
『やったんで!? あ!!?』
『ハリウッドは俺らのもんや!?そうやろがい!!そっっっっっっちゃろがい!?』
そういう反骨精神から生まれたのではと思っています。

後に小説は完成。しかし、ケビンコスナーの予想は外れ、
『白人批判』がある作品という理由で多くの映画の供給会社が
撮影許可を降ろしませんでした。それに痺れを切らしたケビンコスナー。

自費で製作する事を考えます。

この頃のケビンコスナーは映画『アンタッチャブル』で
一流のハリウッドスターと認められる存在になっていました。

そのタイミングで『ギャンブラーズ/最後の賭け』で
共に作品を作った2人が再びタッグを組みます。

自分で書いた小説を元にマイケルブレイクが脚本を制作します。

脚本マイケルブレイク。1990年発表、監督・主演ケビンコスナー
『ダンスウィズウルブズ』』です。

●監督として周囲の批判を跳ね除ける。多くの映画作品の中からトップに躍り出る。

物語の内容は1861年の南北戦争が舞台で近代化していくアメリカ国民と
インディアンの心の葛藤を描いた作品です。

撮影は難航を極め、映画の目玉シーンであるバッファロー狩りの場面では
1週間以上かけて撮影しており、

3500頭ものバッファローが突進するシーンを毎日1カットしか撮影できませんでした。

バッファローの群れは走り出したら何キロも走り続けてしまう習性があるようで
10台のカメラを使って撮影したのですがベストテイクは1日1カットのみ

監督・主演ケビンコスナー『ダンスウィズウルブズ』は彼の初監督作品であり
制作費が足りない時はコスナー自身が都度自腹で払っており、
彼がいかにこの作品に情熱を賭けていたかが分かりますね!!

撮影当時、西部劇は興行収入が高い作品が少なく聴衆は
『コスナーの最後の戦い』などと言って彼を侮辱しました。

しかも、ダンスウィルウルブズに出演した俳優陣を見ると
『ダンスウィズウルブズ』以前に俳優として素晴らしいキャリアを
築いている者はいませんでした。

それでも撮影を続けるケビンコスナー。

バッファローには舐められ聴衆には馬鹿にされ名俳優がいる訳でもない。
常人では途中で諦めてしまう撮影ですが少年の頃から
一心不乱に自分の信じた道を突き進んできたケビンコスナー。

彼は自分の周囲、そして自分を信じ続けて作品を完成させます。

完成した監督・主演ケビンコスナー『ダンスウィズウルブズ』は完成当時、
西部劇としては異例のヒットとなりアカデミー賞を7部門受賞します。

こうして彼は今日に至る名俳優と名監督へのロードをこの映画で手に入れます。

以後、彼が出演する映画は人気となり聴衆からの認知、
名実ともに一流のハリウッドスターになっていきました。

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●まとめ

一流のハリウッドスターとなり今やベテランになったケビンコスナー。
最近はお騒がせnewsが多発しています。

しかし、何も努力せずにハリウッドスターになれた人はいないように
彼は私達とシアター越しに出会う前から

・自分の夢中になれる野球やアメフトに選抜で選ばれる努力
・リチャードバートンに出会って一心になって前に進み続ける姿勢
・セリフが一言しかない役でも一生懸命にやり抜く

など『自分の信じた道を突き進む』人間性を〝経験〟を通して獲得してきました。

その強い情熱が後のマイケルブレイクや周囲の人々をブラッシュアップし
突き動かす事が出来たからこそ

監督・主演ケビンコスナー『ダンスウィズウルブズ』がアカデミー賞を
7部門も受賞できたのだと私は思います。

今日まで彼が出演している映画を観て感動したり楽しいと思えるのは
やはり彼の積み上げ続けた『人間性』が彼の演技を通じて

シアター越しに伝わるからこそ私達は
彼に夢中になってしてしまうのではないでしょうか?

今回は、監督・主演ケビンコスナー『ダンスウィズウルブズ』完成までの
道のりと彼のこれまで生い立ちやキャリアについて書きました。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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