【歴史トリビア】戦国時代の女性はどんな髪型??どんな時代でも、髪は女の命!!
誰もが憧れるきれいな髪。
特に女性はヘアケアに時間をかけているという方も多いのではないでしょうか。
髪の美しさが大切なのは昔も同じ。
例えば、平安時代、清少納言は「枕草子」の中でうらやましいもの、
として「髪がとても長く美しく、垂れた髪の先などが見事な人」を挙げています。
平安時代と聞くと、十二単と、床に垂れるほど
長くてきれいな髪が思い浮かびますよね。
このような長く垂らした髪型を「垂髪(すいはつ)」と呼びます。
でも、江戸時代になると、いわゆる「日本髪」つまり、
アップにした髪型になります。
いつのまに日本人は髪をアップにするようになったのでしょうか。
今回は、過渡期にある戦国時代の女性の髪型についてお話します。
●平安時代より実用性アップ
長くて美しい髪が理想とされたのは戦国時代も同じです。
ただ、床に流すほど長かった髪は、腰くらいまで短くなりました。
戦国時代は、女性も忙しい時代。屋敷にこもってばかりはいられなくなりました。
貴族や大名の妻以外の一般の女性は家事をしなくてはいけません。
そのため、動きやすいように髪も短くなりました。
平安時代には、しばらずに垂らしていた髪を、下の方でしばるようになりました。
ロングヘアの方なら分かると思うのですが、長い髪をそのまま後ろに垂らしていると、かがんだ時などに流れてきて邪魔なのです。
より実用性の高い髪型になったということですね。
後ろにしばっていたとしても、肩のあたりでふんわりと髪を流したり、
しばらないでそのままでいたりするということは、
家事をしなくてよい身分であるという証になりました。
「玉結び」という後ろにしばった髪の毛先を輪に結んだ髪型も生まれました。
誰でもできるというのが人気の理由です。
かわいい髪型でも、手間のかかるものではなかなか挑戦できませんよね。
さらに、身分が低く、農作業をする女性は髪を布でまとめて
邪魔にならないようにしていました。
ロングヘアの人がお風呂に入るときにタオルでまとめる感じを
イメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。
●ついにアップスタイルに
天正頃(1573~92)になると、江戸時代の「日本髪」に
近づく画期的なヘアスタイルが流行します。
中国で流行した髪型をまねていたことから「唐輪髷(からわまげ)」と呼ばれました。
頭の高い位置でまとめたおだんごのような髪型です。
兵庫や上方などの遊女が始めたとされています。
今でも女優やモデルが始めたことがきっかけで流行することがありますよね。
当時の遊女もそういう存在だったようです。
唐輪髷も次第に一般女性まで広まっていきました。
この髪型が後の日本髪の原型だとされています。
●戦国時代的ヘアケア
今はドラックストアに行けば、シャンプー、トリートメント、
ヘアパック、ヘアオイルなどなど、たくさんのヘアケアグッズが手に入りますよね。
美しい髪を保つために女性がいろいろなものを使うのは、
戦国時代も同じでした。
でも、戦国時代に石鹸なんてありません。
いったいどのようなものでケアしていたのでしょうか。
シャンプーの代わりには「灰汁」が使われていました。
灰汁はアルカリ性ですから、皮脂汚れを落とすにはちょうどいいですよね。
今でも炭入りシャンプーなんてものもありますから、
理にかなっているのでしょう。
他にも髪をふっくらさせるトリートメントに、「ふのり」を使っていました。
ふのりは、漢字では「布海苔」、「布糊」などと書く通り、海藻です。
トリートメントとしてだけでなく、
織物の糊付けなどの工芸品といったいろいろな用途で使用されていました。
また、仕上げの艶出しには椿油などを塗っていました。
「日本史」を記したイエズス会宣教師ルイス・フロイスは、
当時の女性は胡麻油やくるみの油なども使用していたとしています。
フロイスは艶々の髪を保つために油をぬりたくっていたため、
匂いが嫌だと書いています。
西洋では、お風呂に入れない匂いを隠すために香水が発展したといいます。
日本の戦国時代の女性もしていることは同じですから、
単純にフロイスの好みではなかったのでしょう。
●まとめ
戦乱の時代、女性も活発になり、髪型には実用性が求められました。
しかし、「髪は女の命」というのは変わりません。
短くなったかみをまとめたり、結い上げたりと常に新しい髪型が生まれ、
進化していきました。
どんな時代でも、女性にとっておしゃれは大切なのです。