【歴史トリビア】前田慶次の妻子は??子孫は今もどこかにいるの??実は、、、

漫画やドラマ、ゲーム、パチンコなどでおなじみの前田慶次

戦国の風雲児、天下御免の傾奇者など、
その魅力的なキャラクターが人気の武将です。

そのルーツは滝川氏の一族といわれていますが、
加賀百万石の始祖となる前田利家の兄で、
前田家の家督を継いでいた利久の養子として迎えられます。

そのまま順調にいけば慶次が前田家の当主となる可能性もありましたが、
織田信長の鶴の一声により、前田家は利久の弟である利家に
家督継承されることとなり、慶次が当主となる道は絶たれました。

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*前田慶次の出奔

その後、前田利家の家臣として数々の合戦の場で活躍しましたが、
義父の利久が亡くなったあと、
妻子を加賀に残して前田家を出奔することとなります。

小田原合戦後のことと言われていますので、慶次が50歳前後のことです。

子供たちも立派に成人しており、これ以上、
己が前田家に残って一家臣としての最後を迎えるよりも
人生の後半を自由奔放に思うがまま生きたいと願ったものと思われます。

●前田慶次の家族構成、子孫は?

*前田慶次の家族構成

前田慶次の妻は、叔父にあたる前田安勝の娘と言われていますが、
残念ながら名前などの詳細は不詳です。

漫画の世界とは違い、現実的な婚姻だったようです。
子供は、息子が1人、娘が5人ほどいたようです(娘の数は諸説あります)。

息子の名前は前田正虎(安虎、安太夫とも)。

父親の前田慶次が出奔した後も加賀に残り、
利家―利長―利常と加賀前田家に3代にわたって仕え、
利久の死後、その旧領2千石を承継したと言われています。

父の出奔が正虎たち一族にどの程度影響を及ぼしたかは定かではありませんが、
一説には祖父にあたる安勝(利家の兄にあたる)の執り成しがあったようです。

*前田慶次の息子、前田正虎はどんな人だった

前田慶次の子供のうち、男子は前田正虎1人と言われています。

正虎の加賀藩士としての活動は、主に書家として活躍したと伝わっています。

特に藩の故事を記した「前田家之記」の著者と言われ、
「(本阿弥)光悦流の書を能くした」とのことです。

慶次も連歌などをたしなむ文化人としての一面もあったようですので、
時代が戦国から江戸へと移り変わるなか、文化人としての才能を活かして
堅実に暮らしていたようです。

*前田慶次の子孫は残っているのか

さて、その正虎自身には子がなく、七尾で没したと伝わっていますので、
残念ながら前田慶次の正統な血筋はここで途絶えてしまったようです。

娘たちは、それぞれ前田家の藩士(山本家、戸田家、平野家など)、
あるいは北条氏滅亡後、前田家の家臣となった北条氏邦の息子に嫁いだと
言われています。

もしかしたら、これら娘たちの子孫が
今もどこかに残っている可能性はあり得ます

*前田慶次の子孫、こぼれ話

最後にあくまで伝承のレベルですが、岐阜の養老町祖父江という地に
前田慶次とその息子が一時住んでいたこと、息子はその地に残り、

その後も代々、前田慶次の子孫がこの地の治水や開田など地域のために
尽力したとの逸話があり、今も「前田之碑」という碑が残され、
その功績を後世に語り継いでいるそうです。

前田慶次に史実では知られざる妻子があったとしても
おかしくはないので、あるいは、もしやといった話ですね。

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●まとめ

自身の力では何ともし難い運命に翻弄されながらも、
最後には戦国の世を自由奔放に走り抜けた傾奇者 前田慶次。

寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。

いずれ死ぬべき時が来たら死ぬだけという意味の言葉を残していますので、
その死生観からは誰にも縛られず、生きたいように生きるさ、
といったまさにシンプル イズ ベスト。

その生き方は、組織や常識に縛られながら生きる現代の我々には、
とてもまぶしく映るのです。

それが前田慶次という人を後の世の人々を魅了し、
愛され続けるゆえんなのでしょう。

残念ながら、その血を受け継いだ前田慶次の子孫の存在は史実上、
確認することはできませんでしたが、
どこかに今も繋がっていることを信じたいと思います。

前田慶次のような人生も悪くないなと思う、今日この頃でした。

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