【意外と知らない】飛鳥時代はいつから?そのはじまりは初の女性天皇の誕生だった!

いつから飛鳥時代なのかぼんやりしていた歴史年表

小学生の頃、教室に貼ってある歴史年表を見るのが好きでした。

それをぼんやり見ているうちに歴史的出来事の上に年代が表記されていて、
時代ごとに色分けされていることに気がつきました。

奈良時代は「なんと(710)大きな平城京」の年代ゴロ合わせで有名なように
平城京への遷都から平安京に遷都するまでの期間とわかりました。

そしてその次の平安時代は平安京遷都から、源頼朝か鎌倉に幕府を開くまでの間、
と明確に分けられているのも見えたのです。

しかし、その前の飛鳥時代がいつから始まったのかがはっきりしていないのです。

飛鳥時代の色になった部分から少し間隔が空いて、
聖徳太子による冠位十二階の制度や十七条の憲法などがでてきます。

これまで深く考えたことがありませんでしたが、飛鳥時代はいつから始まったのか、
そして飛鳥時代の始まる前後に活躍した推古天皇に注目してみたいと思います。


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飛鳥時代は592年から710年 

飛鳥時代はいつから始まったのでしょう?

結論から先に申し上げますと、飛鳥時代の始まりは592年となっています(諸説あり)。

592年は崇峻天皇が時の権力者・蘇我馬子によって暗殺され、
崇峻天皇の異母妹・推古天皇が初の女性天皇として即位した年です。

この区切りについてどう感じましたか?私は少し遅いような気がしたのです。

538年。彼女の父・欽明天皇の時代に仏教が伝来します。

外国からの文化とともに新しい宗教がやってきた頃が飛鳥時代の始まりと思っていました。
推古天皇が即位する前後に何があったのでしょう。

彼女が即位する少し前の出来事を遡ってみます。

仏教をめぐる争いと天皇の暗殺

推古天皇は554年、欽明天皇と当時の有力豪族・蘇我稲目の娘、堅塩媛との間に生まれます。

そのころ、百済から伝わった仏教をめぐり推進派の蘇我氏と排除派の物部氏が対立していました。

父から息子へ。二代にわたる争いの中、
丁未(ていび)の乱が勃発し蘇我馬子が勝利します。

この時際立つのが馬子の動きです。

物部側についていた穴穂部皇子を殺害し、
同じく物部側にいた初瀬部皇子を味方に引き入れ、物部派を分断します。

初瀬部皇子は乱の後、馬子の後押しによって崇峻天皇として即位します。

しかし馬子と反りが合わず、ついその不満をもらしてしまったのが運の尽き。
馬子に伝わってしまい、逆に暗殺されるという前代未聞の出来事が起きてしまいました。

衝撃的ですがこれは皇族の殺害、天皇の暗殺など馬子が天皇に並ぶ、
いやそれを凌ぐ権力を持っていたことを物語っています。

このように推古天皇が即位する前は各地を支配する豪族たちの上に天皇がいる形。
そして政治を執り行うべき法の整備もなく、豪族たちの権力争いが繰り広げられていたのです。

女帝のファインセーブ

馬子は考えます。

崇峻天皇を暗殺し、空位になった帝位に誰がおさまるのか。

天皇が自分の悪口を言ったという理由で殺してしまうような馬子です。

自分の意のままに動いてくれる人物を望んでいました。

そして馬子は先々帝、敏達天皇の皇后・炊屋姫(かしきやひめ)に目をつけます。
最初は断っていた炊屋姫ですが、三度の説得に応じてついに即位しました。

史上初の女帝、推古天皇の誕生です。

馬子は推古天皇の母方のおじにあたります。
今度も姪っ子を使って政治を意のままに操ろうと思っていました。

しかし推古天皇のほうが完全に上をいってました。
皇太子として甥の厩戸皇子(聖徳太子)をつけ、馬子と3人が政治の中枢を担うことにしたのです。

あれだけ血なまぐさい戦闘を繰り広げ、政治を牛耳り、
天皇さえも暗殺してしまった馬子が推古天皇の前ではおとなしかったのです。

馬子の独裁を封じ込める。まさに女帝のファインセーブでした。

天皇を中心とした合議制

飛鳥時代はいつから始まったのか。

前時代とは明らかに異なるのが推古天皇の時代に推し進められた重要な政策の数々です。
一つは仏教を国家の方針として広めていくものでした。

仏教を崇拝することで外国の文化、
価値観を受け入れることができます。

また豪族たちに寺を作らせることで
天皇へ忠誠を誓わせることもできました。
 
もう一つは遣隋使の派遣

それまで外交や文化が伝達するのは朝鮮半島が中心でした。

それを変え、日本から隋へ技術や学問を学ぶために遣隋使が派遣されます。
このとき大事だったのは決して格下にはならず隋と対等の立場で渡り合うこと。

遣隋使の小野妹子が「日出う国の天子から日没する国の天子へ」と書かれた国書を渡し、
隋の皇帝・煬帝が「無礼な!」と激怒したのは有名です。

しかし、意外にもこの交渉は成功します。

隋は高句麗との戦いが長引いており、
立場を重視するより日本と手を組んだほうがいいと判断したのです。

そして法の整備。十七条の憲法も制定され、
それまでなかった官位制度が整っていきました。

た冠位十二階を定め、
家柄に関係なく能力でランクアップしていく制度を作りました。

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女帝に始まり女帝に終わる飛鳥時代

飛鳥時代はいつから始まったのか。それは推古天皇の即位から始まりました。

推古天皇即位前の法も官位もなく争いを繰り返していた頃よりは、
天皇を中心とし、国づくりの整備を進めて行ったのです。

推古天皇は厩戸皇子、馬子が亡くなったあとも政権の中心にい続け、
当時でも長生きな75歳で人生の幕をおろしました。

推古天皇亡き後、幾度か後継者争いはあったものの、
天皇を中心とした国づくりがどんどん進められていきます。

そして推古天皇から数えて9代目。

天智天皇の娘であり持統天皇の妹・元明天皇が710年に奈良に造営された平城京へ都を移します。
女帝に始まり女帝に終わる飛鳥時代。それはまさに天皇を中心とした国づくりの時代でした。

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