【噂の真相】戦国時代に乗っていた馬が「ポニー」だったというのは嘘???実は、、、

皆さんはテレビや映画などで戦国時代を扱ったドラマを観たことはありますか?

ドラマには必ず時代考証で歴史家の先生が監修されるのですが、
あくまでドラマなので監督の意向が優先されている場合もあります。

あくまでフィクションなので時代的におかしい!嘘だ!
という見方もある一方で、そのままこの時代ではこれが普通なんだな
というフィクションをそのまま鵜呑みにしてしまう見方もされてしまいがち。

その中でもよく話題となるのは、戦国時代の馬についてです。

戦国時代のドラマを観ていると馬はどれも足が細くて長く、
モデルのような、サラブレッド並の馬に乗っています。

しかし。戦国時代の馬はポニーだったという話もネットでみかけます。

ドラマが嘘なのか、ネットが嘘なのか。
今回このポニー説について様々な資料などを交えながら究明していきたいと思います。


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●馬の歴史

戦国時代で馬を使った戦はあるものの、
そもそもいつの時代から使われていたのでしょうか。

古代日本から「軍馬」は存在しましたが、『国史大辞典』によりますと、
馬は4世紀以後から飼育技術とともに本格的に移入され、古代には馬飼部があり馬の飼養にあたる部民がいた」そうです。

そしてモンゴルから朝鮮半島を経て九州へ伝わったのが起源であるという説が主流です。

また『日本書紀』によりますと、壬申の乱(672年)に馬が用いられていたとあります。

壬申の乱は天皇後継の内乱の争いで飛鳥時代になるため、
はるか昔から馬は日本に存在しており、軍馬として使用されていたようです。

また、壬申の乱は岐阜で起きており、
本州の中心部で馬が用いられたことはかなり日本の大半で軍馬が活用されたのではないかと考えられます。

『家畜文化史』では平安末期あたりに「刃にソリのある湾刀」が
発見されていると記されています。

これは馬上から敵を切ることに適している形状で、
このころから騎馬が用いられている可能性が高いと思われます。

ちなみに世界では『世界大百科事典 第3巻』に
紀元前2000年前半の古代オリエント社会において
馬の弾く戦車が登場しているとあるので、
古くから人間と馬は繋がりがあったようです。

●日本在来種の馬の大きさはポニー程度

さて、西洋種が入って生きた1700年より前にあたる戦国時代の
馬の大きさは大体100~135cmです。

日本の在来種はポニーと同じくらいの大きさでした。

名馬がよく出てくる『平家物語』でも義経の青海波は4尺7寸、畠山重忠の三日月は4尺7寸なので
大体145㎝余の馬であったということです。

●戦国時代の馬

戦国時代の騎馬といえば武田騎馬隊が有名ですね。

戦国時代ものであれば信長の鉄砲が出てくれば
武田の騎馬隊の猛々しい馬と武者の猛攻な戦が描かれるのがドラマの常でしょう。

しかし、実際はポニーくらいなので短足の馬になるわけです。
これをふまえると長篠の戦の柵の高さや鉄砲を構える位置なども異なってくるはずです。

『信長記』に「勝頼が軍勢は皆馬上達者にして…」
という記述が起因していることだと思いますが、
これは個々の騎馬武者のことを指していると考えられます。

では馬はどういう扱いだったのでしょうか。

当時の日本の馬は去勢をしておらず、
牡馬が集まるとすぐに喧嘩をするため、もともと戦闘向けではなかったようです。

とはいえ、短足の体型からして西洋馬と異なり揺れが少なく、
山道や坂道の歩行に適しており、特に甲斐は山国だったのもあり
乗用や荷駄として多用されたところから派生したという説もあります。

また名馬といえば、山内一豊の妻・見性院が持参金で
一豊に名馬を買ったという逸話がありますが、
この名馬は…?と思うまでもなく、史料がないため後世の創作の可能性があります。

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●まとめ

戦国時代の馬のポニーはドラマのかっこよさはないにせよ、揺れが少なく、
日本の地形に適しており、実用性に長けていたことは日本の馬ならではだと思います。

また現代社会において災害時に馬を使ったボランティア活動を
推進している団体もあります。

こうした日本の馬ならではの長所をうまく活用して
日本の在来種の良さを知る機会が増えることを今後期待したいしたいと思います。                                     

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