【俳優トリビア】香川照之の生い立ち!!意外な経歴⁉︎多彩な演技の土台となったルーツとは??

香川照之さんといえば言わずと知れた名俳優ですね。

オリコン・モニターリサーチによる“悪役”が似合う俳優ランキングでは
堂々の2位にランクインしています。

ドラマや映画に幅広く出演され、彼にしかできない
顔芸」とも言えるような独特な表情や台詞回しで
多くの人を惹きつけドラマの世界に引き込んでくれます。

そんな香川照之さんの少し変わった生い立ちをご存知でしょうか。

育った環境が人の成長に与える影響は大きいですが、
香川照之さんの多彩な演技もその生い立ちによって与えられた影響が大きいのかも知れません。

そこで今回は香川照之さんの生い立ちについて見ていきたいと思います。

この記事を最後まで読んでいただければ、
より深く香川照之さんの魅力あふれる演技を楽しむことができるようになるでしょう。


スポンサードリンク




・両親の離婚、母子家庭で育った幼少時代

それでは香川照之さんの生い立ちについて見ていきましょう。

香川照之さんは1965年に東京で生まれ、父親は歌舞伎役者の二代目市川猿翁さん、

母親は元宝塚歌劇団で女優の浜木綿子さんという著名な両親をもちます。

しかし1968年、彼が3歳の時に両親が離婚し、以降は母子家庭で育ちます。

父である猿翁さんが慶應大学卒だったことへの対抗意識から、
夫(猿翁)よりも良い学校に入れたい!

と浜さんが猛勉強をさせた影響もあり、
香川さんの成績は常にトップクラスだったそうです。

ただそのような見栄や外面ばかりを気にして自身への愛情が感じられなかった
母親に対する葛藤もあり、反抗心を糧に勉学に打ち込んだ背景もあったようです。

・頭脳明晰!知的好奇心に満ちた学生時代

香川照之さんはNHKのカマキリ先生でも知られるように
昆虫マニアとしての一面も持ち合わせています。

5歳の時すでに、45年後に被り物を着ることとなる
カマキリの精彩なスケッチを描くほど、
何事にも興味を持つ知的好奇心にあふれた子どもだったそうです。

都内でも進学校とされる暁星小学校に入学後は、
そのままエスカレーター式に暁星中学校、暁星高校へと進学。部活動には参加せず勉学に励み、
ついには東京大学の現役合格を果たします。

学生時代には学んでいるフランス語の原書を読んだり、
またデビュー後はテレビ番組やスピーチでもフランス語を披露するシーンがありました。

経歴からも聡明で学習能力がとても秀でていることがわかりますが、
学びで得たものを糧とする上昇志向をもっていることが窺えます。

・父親との確執‐和解

香川照之さんは大学卒業後には俳優デビューを遂げています。

それを機に疎遠となっていた父親の興行先に会いに行くことになりますが、
父親である市川猿翁さんからは

「あなたは息子ではありません。あなたとは今後、二度と会うことはありません。」と
一方的に拒絶されてしまいます。

幼い頃に別れたきりの父親に抱いていた想いが打ち砕かれるには十分すぎる言葉ですね。

ただ香川さんはその後何度も父親の舞台を観劇しに訪れ、
後に父親の当時の妻である藤間紫さんの仲立ちもあり和解に至っています。

和解後は2011年に「九代目市川中車」として歌舞伎界にも進出しています。

歌舞伎界入りを決意した裏には長男である政明さんに、
自身が継ぐことのできなかった「市川猿之助」の名を継がせたいという想いがあったそうです。

父への憧れ、息子への想いどちらも共感のできる素晴らしいエピソードです。

ただ賢く貪欲な香川さんならば、
他の人が成し得ない俳優と歌舞伎役者の2つの道を己が極めたい!

という強い気持ちもあったかもしれませんね。

スポンサードリンク




・まとめ

今回は香川照之さんの生い立ちを見ていく中で、
彼特有の演技のルーツを垣間見ることができたのではないでしょうか。

複雑な家族関係のなか必死に勉学に励み、
役者と歌舞伎の二刀流を成し遂げたからこそ「豊かな表現力」という
唯一無二の武器を手に入れられたのでしょう。

この記事を読んだ後に改めてドラマを見ると、
より深く香川照之さんの魅力あふれる演技を楽しむことができ、
また今まで気づかなかった発見があるかもしれません。

ぜひ作品を楽しんでみてください。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA