西村京太郎と赤川次郎ってどんな小説家?2人の略歴と似ているところを解説!
西村京太郎、赤川次郎の2人は日本を代表するミステリー作家です。
小説は読まないという人も「西村京太郎トラベルミステリー」
「赤川次郎ミステリー」というタイトルのドラマは見た事があり
名前は知っているという人も多いのではないでしょうか?
ただ名前は知っているけれどどんな人でどのような小説を書いているのか
知らない人もいると思います。
そこでこの記事では西村京太郎と赤川次郎がどういう人なのか
その略歴と2人の小説家として似ているところについて書きます。
今まで名前は聞いた事があるけれどどんな人か考えた事はなかったと
いう人がこの2人について「自分でも調べてみよう」と
思っていただけると幸いですので最後までお付き合いください。
●西村京太郎の略歴です。
西村京太郎はペンネームで本名は矢島喜八郎です。
1930年に東京で生まれ位の高い軍人になって家族を楽に生活させたいがために
エリートコースの学校に入学しています。
しかしその後すぐに終戦となったため工業学校へと
入り直し卒業後は国家公務員として働いています。
その11年後には仕事を辞めてトラック運転手、保険外交員、私立探偵、
警備員など様々な職業を経験して執筆活動に入ります。
最初は社会派推理小説を書いていたのですがスパイ小説、
パロディ小説、時代小説と様々なジャンルの執筆を得て
今も根強い人気を誇るトラベルミステリーというジャンル中心に
書くようになりその第1人者になりました。
西村京太郎のトラベルミステリーは鉄道を使ったトリックやアリバイ工作が
リアルに作りこまれており幅広い年齢層の人達に愛され続けています。
2022年9月に91歳で亡くなっていますが創作意欲はとても強く亡くなる
2ヶ月前に新作を発表し本当に人生の最後まで執筆活動されていました。
ここまでが西村京太郎の略歴です。
作家になる前に様々な職業を経験してきた事が多くの名作を生み出す
きっかけになったのではないかと思います。
またトラベルミステリーという得意ジャンルを獲得し
多くの読者を魅了した偉大な作家です。
●赤川次郎の略歴です。
赤川次郎は本名でペンネームではありません。1948年に福岡県に生まれます。
幼少期から物語を作り人に読んでもらったりしていました。
機械工学の学術論文を校正する仕事をしながらも執筆活動を続け
28歳の時に小説家としてデビューします。
その2年後には代表作で現在もシリーズが続いている『三毛猫ホームズ』を
生み出し会社を辞めて執筆活動に専念するようになります。
とても創作意欲が高い作家で多い時には年に20冊の小説を発表し面白く、
分かりやすい内容の物が多いので若い世代から年配の世代まで
幅広い人達を楽しませています。
75歳になる現在も執筆活動に意欲的で新作を生み出し続けています。
ここまでが赤川次郎の略歴です。話を作るのが幼少期から好きで会社に
勤務しながらも小説を書き続け小説家として生活していくまで
有名になった努力家であり、趣味を仕事にして成功しておられる
珍しい人だと思います。
私個人の意見ですが趣味で楽しいと思っている事でも仕事にすると
たちまち「しんどい」「楽しくない」という気持ちになってしまうので
ずっと創作活動されているこの2人の小説を作る事に対するストイックさを
尊敬しています。
●西村京太郎、赤川次郎の共通点はどんなところか?
西村京太郎、赤川次郎の共通点は3つ挙げられます。
⑵2人とも著作の数が多く600冊以上生み出している事
⑶2人とも結末を決めずに書きながら展開を考えていく手法を取っている事
これら3つの共通点があるのですが手書きという手間のかかる作業で
多くの小説を生み出し続けているのには本当に驚かされます。
しかも書きながら展開を考えるという手法は
「安定して物語を作り出せないのではないか?」
と素人目には思ってしまうのですがこの2人にとっては最適解だったのかぁと感心させられます。
●まとめ
ここまで西村京太郎と赤川次郎の略歴と小説家としての共通点に
ついて書きました。
2人とも創作に対してとてもストイックで小説家を目指しているのでなくても
学べる事が多いと思うのでこれを読まれている皆様もぜひ調べてみてください。