歴史で8代将軍といえば誰?室町・鎌倉・江戸の8代将軍3名を解説!
歴史で8代将軍といえば、誰を思い浮かべますか?
歴史のテストやクイズ番組で「8代将軍」という文字が目に入った瞬間、
「徳川吉宗だ!」と条件反射で答えるのは私だけではないはずです。
実際、「8代将軍」と検索して最初にヒットするのは吉宗ではないでしょうか。
しかし、将軍制度が始まった1192年の鎌倉幕府成立以降、
日本史上に8代将軍は3人います。
鎌倉幕府8代将軍、久明親王
室町幕府8代将軍、足利義政
徳川幕府8代将軍、徳川吉宗
あなたは何名、思い浮かべられましたか?
この記事を読めば歴史上の8代将軍3名の雑学が身につきます!
●鎌倉幕府8代将軍 久明親王
鎌倉幕府の将軍は、頼朝・頼家・実朝の源氏3代のイメージが強いと思いますが、
3代目実朝暗殺以降も鎌倉幕府は北条氏の執権政治のもと将軍が据え置かれます。
4・5代目に源氏の遠縁の藤原氏が将軍となった後、
6代目から鎌倉幕府が滅亡する9代目までは皇族が将軍として迎えられました。
この鎌倉幕府後期4代の皇族将軍のひとりが8代将軍の久明親王です。
久明親王の将軍在位期間は1289年~1308年の19年間です。
北条貞時が執権の頃、京都に送還された後に出家をしています。
政治的な力はなく、特筆する業績はありませんが、
和歌の才能がありました。
歌人・冷泉為相を和歌の師匠として歌合を主催し、
自身の和歌も8つの勅撰集に入るなど鎌倉歌壇の中心人物でした。
皇族将軍は先々代からのお決まりのパターンとして京都へ送還されていますが、
久明親王は自身の処遇を受け入れていたためか、
京都送還後も幕府との関係は平穏だったといわれています。
お飾り的な皇族将軍のなかでも少しだけましな印象が持てますね。
●室町幕府8代将軍 足利義政
6代目義教の息子として生まれた義政は、当初僧侶となるはずでしたが、
幼い頃に父が殺害され、後を継いだ幼年の兄も病死したために8歳にして
鎌倉幕府8代目将軍の座が回ってきます。
正式に征夷大将軍となったのは元服した1449年で、24年間在位しました。
しかし幕府内の妻・日野富子に振り回されたり
側近に勢力を振るわれたりと政治は上手くいきませんでした。
また、義政に嫡子がいなかったことから跡継ぎ問題が応仁の乱へと発展し、
京都は焼け野原となってしまいます。
政治に嫌気がさした義政は京都に別荘として慈照寺(銀閣)を建てて引きこもり、
趣味の芸術に没頭して東山文化を花開かせます。
室町幕府を時代背景とした大河ドラマは少ないと言われていますが、
1994年放送の「花の乱」では足利義政の妻、日野富子が主人公となっています。
影が薄い義政よりも気が強く政治に積極的に介入した妻・富子の方が
ドラマとして焦点が当てやすいのかもしれませんね。
●徳川幕府8代将軍 徳川吉宗
徳川幕府8代目の徳川吉宗は徳川御三家
(徳川宗家の血筋が途絶えた時に将軍候補が選出される分家)の
ひとつである紀州徳川家の藩主の四男として生まれました。
紀州藩主どころか将軍候補から程遠い存在と言えますね。
ところが2人の兄や父が亡くなったことで5代目紀州藩主となり、
さらに7代目家継が幼くして病死後、跡継ぎ候補が次々と亡くなったことにより、
ついに吉宗に将軍の座が回ってくるのです。
こうして吉宗は1716年から1745年の間8代目将軍の座に就きます。
偶然にしてもタイミング良く跡継ぎ候補たちが
次々と亡くなるのはちょっと怖いくらいですね。
将軍となった吉宗は幕府の様々な制度を変えていきました。
まず吉宗は、身分や家柄ではなく、
有能な側近たちを登用しました。
優秀な人材がそろうと、財政再建のために奮闘します。
吉宗はこの頃の財源である米にこだわったため「米将軍」とも呼ばれています。
新田開発を奨励して米の増産を図り、
米を献上する代わりに参勤交代を軽減する上げ米制を定め、幕府の収入を増やしました。
また、倹約令を定め質素な生活を命じ、大奥の削減に切り込みました。
「美人は外に出てもやっていける」と
美人から解雇していったとも言われています。
他にも、公事方御定書によって法制度を整え、
相対済し令では当事者同士で金銭問題を解決するよう命じ、争いごとを収めていきます。
江戸の町で頻発する火事に対応するため自治的に町火消しを組ませたり、
目安箱を設け、民衆の意見を取り入れたりしました。
吉宗は、紀伊藩主時代に庶民の生活をよく見てきたと言われています。
庶民の感覚がわかる吉宗ならではの実績と言えるでしょう。
これらの改革は享保の改革といわれ、
吉宗は中興の祖と呼ばれるほど多くの実績を残しています。
●まとめ
歴史上の3人の8代将軍たちについて、いかがだったでしょうか。
鎌倉幕府8代将軍の久明親王は北条執権政治のもと皇族将軍だったため
お飾り的な将軍でしたが、和歌の才能があり、鎌倉歌壇の中心人物として活躍しました。
室町幕府8代将軍の足利義政は政治的な意欲を周囲の人によってそがれ、
応仁の乱では京都を焼野原にしてしまうなど大成はしませんでしたが、
趣味に没頭して東山文化に貢献しました。
江戸幕府8代目将軍の徳川吉宗は庶民目線で享保の改革を行い、
幕府の制度を大きく変えて、中興の祖と呼ばれる実績を残しました。
それぞれの将軍を一概に評価できないかと思いますが、
3人の8代目将軍について詳しくなれたのではないでしょうか。
ぜひ今日から「歴史上の8代将軍、3人言える?」と、この雑学を披露してください!