太宰治の妻ってどんな人だったの?結婚した2人の女性を紹介します!

日本の有名な小説家の1人に太宰治という人がいます。

有名な作品に『人間失格』『走れメロス』『斜陽』などがあり
38年という短い生涯の中で多くの小説を生み出しています。

そんな太宰治はその人生の中で2度結婚しています。

この記事では太宰治の妻2人についてどんな人物だったのか?

太宰治はどこに魅力を感じて彼女達と結婚したのか書きます。

今まで太宰治の妻については知ろうとしていなかった人が
「自分でも調べてみよう」と思っていただけると幸いですので
最後までお付き合いください。

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●1人目の太宰治の妻

*1930年に内縁の妻として小山初代と同棲しています。

1930年に太宰治は実家との縁を切る事を交換条件に芸者だった小山初代と
結婚しています。細かい話ですが太宰治の実家は彼女が入籍する事を
許さなかったので内縁の妻という立場になっています。

その後1937年に離婚するまで太宰治を支え続けていました。

離婚の原因は彼女が太宰治の義弟と浮気したからという事ですが
女性関係が派手だったのは太宰治も一緒なので
7年間彼女の方が良く頑張ったものだと感じます。

彼女は離婚後に北海道に移住していたり、
中国の満州に渡っていたりと各地を点々とする人生を送り33歳で亡くなっています。

もともとの性格だったのか太宰治との結婚で彼女が変わったのかは
分からないですが各地を点々としているところからは行動的な印象を受けます。

しかしどこにも自分の居場所を見つけられなかったのかもしれず
その点では寂しい生涯だったのかもしれないと考えてしまいます。

●2人目の太宰治の妻

*1939年に小説の師匠井伏鱒二の紹介で石原美智子と結婚しています。

太宰治は1939年に小説の師匠井伏鱒二の紹介で石原美智子と結婚しています。

彼女は東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学です)を卒業後に
女学校の教師となり地理と歴史を教え寮の監督も任されています。

この事からとても知識が多く、責任感が強い女性だったと思われます。

私が彼女について興味深いと感じたエピソードがあります。

それは彼女が結婚前に太宰治の小説を読んで
「自分で自分をついばんでいるようだ」という感想を抱いているところです。

この感想を読んで私は「この女性は太宰治が本当は心が弱く、
周りに自分を強く見せようとしているその本質を理解している」と感じました。

この石原美智子という女性は知識や教養があるだけでなく人間の感情についても
深く理解して受け止められる包容力を持った人だったのではないかと感じています。

実際に彼女と結婚してからの太宰治はこれまでのだらしなかった
生活から抜け出す事を決意し『女性徒』『走れメロス』『富嶽百景』などの名作を
生み出しています。

最終的に太宰治はやはり女性関係が派手でだらしない生活を
また送るようになってしまうのですが彼女は離婚せずに太宰治を支え、
彼との子どもを育ってあげています。

安定したかと思ったらまた不安定になってしまうそんな太宰治を支え続けた
我慢強く、賢いまさに良妻賢母という言葉を体現したような人だと感じます。

太宰治が亡くなってからも彼の回想録を作成するのに協力し生前の太宰治が
どんな人間だったのかを知るうえでとても重要な人物です。

●太宰治は2人のどこに魅力を感じたのか?

*小山初代に惹かれた理由を想像してみました。

最初に内縁の妻となった小山初代に対して太宰治は
「理解してくれる人が周りにいない」「自分の居場所がない」という気持ちを
持っている女性だと感じて結婚しようとしたのではないかと考えます。

自分と共通点が多い人を好きになる自然な恋愛の形ですがどちらも
暗い感情で結びついてしまったためお互いに傷つけあう事になり
別れてしまったのではないかと思います。

*石原美智子に惹かれた理由を想像してみました。

小山初代と石原美智子は真逆の女性であると私は思います。

なぜなら小山初代は自由奔放でだらしがない感じなのに対して
石原美智子は規律を守り、真面目な感じだからです。

この事から太宰治は2度目の結婚で自分に無いものを持っている女性として
惹かれたのではないかと考えます。

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●まとめ

ここまで太宰治の妻についてどんな人物だったのかという事と
どんなところに惹かれたのかについて書きました。

どちらの女性も深く太宰治と関わっており生前の彼を知るうえで
重要な証言者なのでぜひ注目して欲しいです。

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