バンプオブチキンの名曲、rayに込められた本当の意味とは

よく晴れた秋の昼間を思わせる様な、悲しみと諦め、
喪失感を伴った希望が胸に迫ってくる楽曲だ。

一聴すると、世の中にある幾多の出会いと別れを
個人的なストーリーとして描いている楽曲に聴こえる。

しかし、その歌詞を紐解き、意味を再構築する時、
最初の印象とは違った「もう一つの顔」とも言うべき一面が見えてくる。

その顔とはどんな顔なのであろうか。バンプオブチキンが楽曲に込めた、
可能性としての相対的メッセージと言ってしまって良いかもしれない。

先に、結論を言ってしまいたい。

「君との別れを受け入れる事で、僕は君と一つ(ray=1本の光)になる」である。

この楽曲の最終バースで歌われる「大丈夫だ この光の始まりには君がいる」、
これが全てなのだ。

光とは、闇の存在があって初めて光として成り立つ。

かつて闇の世界の住人であったであろう主人公は、
「君」と出逢う事で光の世界を知る。

ray(光線)とは、君が僕に教えてくれたものであり、
今なお「君」からの光(ray)に照らされている事で「君」の存在と同義になるものであり、
君と僕=ONE(ray=1本の光)であるという結論へ行きつく。

歌詞を順番に紐解いていく事で、実相へと迫っていきたい。

最終ゴールとして、この楽曲がメッセージとして我々に語りかけているものとは一体何なのか。

それをお伝え出来たらと願っている。

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●「悲しい光」と「透明な彗星」

1番の歌詞を見ると、「お別れ」「悲しい光」というワードが出てくる。

どうやら、この時点では、タイトルであるray(英語:光線)という単語は、
主人公にとって「大切な存在と離れ離れになってしまった結果、
(心のある場所に)封じ込めた悲しい光」を意味しているらしい事が読み解ける。

さらに読み進めると、「透明な彗星」という単語が出てくる。

「君といた時は見えた 今は見えなくなった」という部分から、
「透明な彗星」とは、君とかつて一緒に見た彗星という事になる。

彗星という単語が意味するものとして、
(一般的にではあるが)誰かと一緒に見るシチュエーションにおいて、
願いを掛ける希望的存在として描かれる事が多いといえる。

ここで疑問が湧き上がる。何故、彗星が透明でなくてはならないのかである。

作者であるバンプオブチキンは、何を意図しているのであろうか。

個人的な仮説を折り込みたいと思うが、君と一緒に見た透明な彗星とは、
かつて「僕」と「君」が共同作業として創り出した、いわば2人の心の産物として、
願掛けとしての役割を担った架空のものではないかという事である。

実在しない彗星であるからこそ、「透明な彗星」なのである

そして、イマジネーションの彗星ではあるが、
かつては、実際に2人で「観た」のであろう
(「でもそれだけ探してる」というのは「観た」事の根拠になっていると言えるであろう)。

●君と僕が出会った理由とは

この楽曲で繰り返し登場するワードに、「あの痛み」というものがある。

主人公は、「お別れしたのは何で何のためだったんだろうな」
と自身にその理由と意味を問いかけた後のバースで、

(君が僕に)伝えたかった事がきっとあったんだろうな」と答えを発見している。

印象的なギターソロ直後、「お別れした事は出逢った事と繋がっている」とある為、
「君」が「僕」に何かを伝える為に出会ったのであるという結論に達する。

言い換えれば、「僕」は「君」からのメッセージに
気付かなければいけない立場にある事が読み取れる。

●rayとは何か

この楽曲の主人公は、悲しみでバラバラにほどけてしまいそうな心を保つため、
自分自身の解釈の正しさを証明する為、何度もその正しさを自分に言い聞かせている様子が見られる。

「寂しくなんてなかったよ ちゃんと寂しくなれたから」、
「あの透明な彗星は 透明だからなくならない」、
「大丈夫だ あの痛みは忘れたって消えやしない」、

そして究極の意味を持つであろうフレーズ、

「大丈夫だ この光の始まりには君がいる」。

そうなのだ、バンプオブチキンが伝えたいrayとは、君から僕への光なのだ。

それが「悲しい光」であっても、君と僕を繋げている光であり、
距離であり、あの痛みを忘れたって消えやしない理由であり、君と僕そのものなのだ。

最後に、バンプオブチキンのrayという楽曲が我々に指し示すものについて考えてみたい。

人間関係における2人、特に愛する人との関係を考える時、
そもそも「君」と「僕」は、何故出会うのであろうか。

なぜ「君」を求めてしまうのであろうか

個人的解釈ではあるが、人間の深層心理にあるであろう、
「君」と一つ(ONE)になりたいという想いからではないであろうか。

rayという楽曲では、人間が一つになる事について、ある答えを提示している様に感じられた。

それは、「君」と「僕」が一つになる為には、別れが必要であるという答えである。

別れる事で、ray(1本の光)になっていくのである。

この楽曲の主人公は、終わらない暗闇の中で、その事に気付き進んでいる様に感じた。

それが、どれ程苦しく困難で悲しみを伴う事であるか。

皮肉な事に、別れる事で、初めて「君」からのメッセージ(伝えたかったこと)が
形を帯びてくる
のである。

それを、敢えて言葉にするのであれば、きっとこんな言葉になるのではないか。

あなたに会えて良かった」。

これからも2人の旅は、永遠に続いていくのであろう。

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まとめ

令和の時代を生きる我々は、大切な人と別れずに、
相手と一つ(ONE)を目指すにはどうすれば良いのかという問いかけを
考え続けなければいけない様に感じる。

拙者からの提言として、先ず自分をONEにする努力を惜しまず生活していった先に、
その答えがあるのではないかと感じている。

不足感をベースにした者同志の関係においては、
自分をONEにしたいから、相手との繋がりを得たいという動機もあるのではないかと感じる。

自分が既にONEであった上で、「同じONE」同志が出会った時、
rayはtwin rayとなっていく。

お互いがお互いを照らし出す関係にあるからだ。

バンプオブチキンが作ったこの楽曲は、
その未来を照らし出す指針の様な意味を持つ存在として、輝き続けているのだ。

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