チバユウスケ食道がんで死去、55歳早すぎる別れ。
チバユウスケは2023年11月26日に食道がんで
55歳という若さでこの世を去りました。
このニュースを知って驚かなかった人はいないのではないでしょうか。
突如舞い込んできたチバの訃報は芸能界にも大きな衝撃を与えました。
私もこのニュースを知ってすぐには受け止めることができない程
ショックを受けました。
今回はチバユウスケという人物がどんな人物なのか、経歴、
数々の伝説など紹介したいと思います。
この記事をみればチバの魅力的がわかるのではないでしょうか。
ぜひ最後までお付き合いください。
Contents
●チバユウスケとはどんな人物なのか
1968年7月10日生まれ、神奈川県藤沢市出身のチバユウスケは幼稚園から
高校まで湘南学園に在籍していました。
高校時代は剣道部に所属していたものの音楽にも興味を持っていたため、
在学中にドランカーというパンクロックバンドを結成しましたが、
学校がバンド活動を禁止していたためステージにあがることはありませんでした。
尊敬するミュージシャンはザ・クラッシュ、ジョニー・サンダース、
ドクター・フィールグッドなどであり、チバの音楽もパンクやガレージロック、
パブロックの要素が取り入れられているのが特徴です。
趣味はレコードを収集することで、過去にはテレビ番組でレコードを紹介する
コーナーができるほどの収集家でした。
また、タバコとお酒好きでもあり特にビールが大好きだったチバは、
缶ビールを1日に1ダース飲んでいた時期もあるほどでした。
健康のためとビールとトマトジュースを割った「レッドアイ」を
飲んでいたこともあるそうです。
*THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
1988年に明治学院大学経済学部商学科に入学し、学内サークル
「ソング・ライツ」に加入した際に結成したのが
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTでした。(以下:ミッシェル)
卒業後も活動を続け、1996年に「世界の終わり」で
メジャーデビューを果たしました。
その後も1997年「バードメン」、
1998年「スモーキン・ビリー」など数々の有名曲を世に送り出します。
1999年には横浜アリーナでスタンディング形式のライブを行い、
大会場で史上初めて成功させた事をきっかけに、
大会場のスタンディング形式を定着させました。
ミッシェルは現在のアーティストにも影響を与えています。
2000年にはフジロックフェスティバルのヘッドライナーを
ブランキー・ジェット・シティと共に務めました。
これは出演者全員が国内アーティストであった2021年を除けば、
日本人アーティストがヘッドライナーを務めたのはこの2組だけでした。
2001年に照井利幸とROSSOを結成していますが、
この時期はミッシェルの活動をメインに行っていたため、
2002年8月のRISING SUN ROCK FESTIVALを最後に活動休止しました。
2003年のフジロックフェスティバルに出演した時は、
自分の出番までスタッフに借りた自転車で散策していたところ
迷子になるアクシデントがありました。
連絡がつかずみんな騒いでいたそうです。
そんなおっちょこちょいな所も魅力的ですよね。
2003年6月にテレビ朝日系「ミュージックステーション」に出演した際に、
ドタキャンした「t . A. T. u.」の代わりに
急きょ「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」を演奏しました。
セットも無く、リハーサルもしていませんでしたが
見事に番組終了に間に合わせ成功させました。
この出来事はミッシェルの伝説になっています。
彼らが実力のあるバンドだからこそなせる業ですね。
私も当時テレビで見ていましたが、
さすがとしか言いようがない程の圧巻のパフォーマンスだったことを
今でも鮮明に覚えています!
2003年9月1日に解散を発表、10月11日に幕張メッセのライブを
最後に解散しました。
*The Birthday
2006年6月にチバユウスケ、イマイアキノブ、ヒライハルキ、
クハラカズユキの4人でThe Birthdayを結成し、
8月に「stupid」、10月に1stアルバム「Romantics」をリリースしました。
2009年に出演したフジロックフェスティバルでは、
7月22日に死去したミッシェルのアベフトシに向けて
「今日のライブは俺たちの大親友だったアベフトシに捧げます」と述べ、
新曲も取り入れた高いパフォーマンス、彼らの熱いロック魂が
会場のファンを魅了しました。
2015年9月15日には日本武道館にて10周年記念ライブを開催し、
翌日16日にベストアルバム「GOLD TRASH」をリリースしました。
2022年には大ヒットした「THE FIRST SLAM DUNK」のオープニング主題歌
「LOVE ROCKETS」を担当しました。
チバの活躍はこのまま続くと思われていましたが、
2023年4月24日に食道がんにより休養を発表、
誰もがチバなら戻ってくると信じていました。
しかし、そんな願いもむなしく11月26日に家族に見守られながら
穏やかに息を引き取ったのです。
音楽業界にもチバのファンは多く、
悲しみの声が途切れることはありません。
●チバユウスケが患った食道がんとはどんな病気?
食道に発生した悪性腫瘍のことを総称して食道がんと言い、
早い段階での自覚症状がほぼない為早期発見が難しい病気でもあります。
がんが進行すると、
飲み込むときにチクチクした感じやつかえた感じがするなどの症状がでます。
更にがんが肺や気管、胸骨に広がると胸痛、声がれ、
せき、血痰、息苦しさがでるようになります。
一般的に食道がんは50代男性から増加傾向にあり、
飲酒や喫煙と深い関わりがあるといわれています。
こういった日常生活の習慣ががんのリスクを高めるので、
他人事とは思えないですね。
チバの食道がんの原因もタバコやお酒をたくさん飲酒していたことが
少なからず関係あるのかもしれませんね。
●まとめ
いかがでしたでしょうか。チバユウスケは人間関係をとても大事にする人で、
誰にでも愛される人だったのではないでしょうか。
音楽への情熱も凄く、自分の信念をしっかり持っているところが
かっこいいところでもありますよね。
また、そんなチバだからこそ数々の伝説を残せたのかも知れません。
しゃがれ声で一見クールそうに見えますが、
意外とフレンドリーでおっちょこちょいなギャップもファンにとっては
魅力の一つでもあります。
11月26日に惜しくも他界されてしまいましたが、
今後もチバが残した功績は楽曲と共に音楽ファンに忘れられることはないでしょう。