オードリー ヘップバーンはスパイだったのか? 衝撃的な噂の真相に迫る!

1993年に亡くなってから30年経った今でも「映画の妖精」として
世界中のファンを魅了し続けている女優がオードリー ヘップバーンです。

映画『ローマの休日』で気品あふれる王女を演じていた
女優オードリー ヘップバーンですが、1993年12月24日、

オランダの日刊紙「ヘルダーランダー」がオードリー ヘップバーンの
少女時代の写真付きで彼女がスパイであったと報じました。

女優オードリー ヘップバーンがスパイであるという衝撃的な噂の
真相に迫っていきます。

スポンサードリンク




●1:オードリー ヘップバーンの知られざる半生

「映画の妖精」と呼ばれて今もなお世界中のファンを魅了している
女優オードリー ヘップバーン、本名オードリー・キャスリーン・ラストンは
1929年5月4日、ベルギーで生まれました。

父親はオーストリア・ハンガリー帝国出身で貿易商を営み、
母親はオランダの貴族の血を引いていて、オードリーの気品あふれる姿は
母親から譲り受けたと言えます。

幼い頃にイギリス、オランダ、ベルギーを行き来する生活を送り、
自然と英語、オランダ語、フランス語、イタリア語にスペイン語を話せるように
なりました。

1938年、オードリーが9歳の時に両親は離婚し、
親権は母親が持つことになりました。

1939年にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告したことで
第二次世界大戦が勃発し、当時イギリスに住んでいたオードリーは
戦火に巻き込まれる可能性があることから
オードリーの母親は娘を守るために戦火を逃れて中立国オランダへと移住します。

1940年5月10日、中立国であったオランダにドイツ軍が侵攻、
娘オードリーを守りたいという母親の決断がかえって戦火に巻き込む結果を
生んでしまったのです。

イギリス人であるオードリーは敵であるドイツ軍に見つからないように
母親から存在を徹底的に隠されました。

イギリス人では代表的と言われる名前を持つオードリーは通うことになった
小学校では「エッダ・ファン・ヘームストラ」という別の名前を与えられ、
話す言葉さえも変えられました。

後年、オードリー自身は身の安全を考えて偽りの生活を送っていたと語っています。

やがて戦況の悪化に伴ってオードリーの生活は異常さを増していきます。

突然現れたドイツ兵によって青年たちが射殺され、
その光景を見たオードリーは気を失ってしまったといいます。

さらに叔父がドイツ軍によって射殺されたことを母親から聞かされ、
「戦争を1日でも早く終わらせたい」との思いがレジスタンス運動、
ドイツに対する抵抗運動への参加を決意させたのです。

15歳の時にレジスタンス運動への参加を決意したオードリーはスパイとなり、
機密文書を自転車で運んでいたそうです。

密かに入手した武器を乳母車に隠して運んだり、
ドイツ軍の戦車に関する情報をコルセットの中に隠してイギリス軍に知らせたり、
オードリーはスパイとして活動を続けていました。

ある時はイギリス空挺部隊が潜む森へ行く途中に
ドイツ軍兵士に呼び止められて自転車のかごの中を確認され、
スパイダと気付かれそうになった一幕もあったそうです。

バレエ学校に通いながらスパイ活動をしていたオードリーですが、
スパイ活動の他に自分だけができる活動を始めます。

当時住んでいたオランダにある住宅地の地下室でバレエ公演を行うことであり、
公演で得た資金をレジスタンスに寄付していたそうです。

深刻な食料不足で食べることがままならい中でもオードリーはスパイ活動を続け、
ドイツ軍兵士に連行され、隙を見て命懸けで逃亡したこともありました。

1945年5月にドイツ軍が降伏し、オランダは多くの犠牲者を出しながら
解放されたのでした。

スパイ活動に従事する「エッダ」の終わりであり、
女優オードリー ヘップバーンの始まりでした。

●2:『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を受賞

スパイ活動とレジスタンス運動に命懸けで従事して戦火を生き抜いてきた
オードリー ヘップバーンはイギリスにあるバレエ団に入りますが、

身長170センチであることからバレリーナになることは難しいと言われます。

女優志望となったオードリー ヘップバーンは舞台に出演し、
フランス語と英語で撮影される映画に出演し、ブロードウェイ戯曲『ジジ』の
主役を演じました。

『ローマの休日』のアン王女役のテストを受けていた
オードリー ヘップバーンですが、テストが終わっても実は
カメラが回っていることに気付かず、
その時に見せた笑顔を見たウィリアム・ワイラー監督によって
主役をアン王女役に抜擢されました。

1953年公開の映画『ローマの休日』でアン王女を気品あふれる中に
かわいらしさもあふれさせて演じて初ノミネートにして
アカデミー主演女優賞を受賞しました。

ビリー・ワイルダー監督作で1954年の映画『麗しのサブリナ』では
大富豪一家の専属運転手の娘を演じ、
ウィリアム・ホールデンとハンフリー・ボガートと共演しました。

パリ留学で洗練された女性に変身して大富豪の長男と次男を魅了する役を演じ、
アカデミー主演女優賞にノミネートされました。

トルーマン・カポーティの短編小説を映画化した1961年公開の恋愛映画
『ティファニーで朝食を』ではギターを弾きながら歌声を披露し、
『パリの恋人』ではバレエで得た踊りの力を発揮しました。

名優ヘンリー・フォンダと共演した1956年の大作映画『戦争と平和』、
2度のアカデミー主演男優賞に輝いた名優ゲイリー・クーパーと共演した
『昼下りの情事』、訛りの強い花売り娘が言語学者によって
美しい淑女に変身するミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』に
出演しています。

●3:ユニセフ親善大使としての活動

映画『ローマの休日』で気品あふれるなかにかわいらしさを持つ王女を演じて
アカデミー主演女優賞を受賞したオードリー ヘップバーンは
女優として活躍するだけではなくユニセフ親善大使として恵まれない人々のために
力を尽くしました。

1988年にユニセフ親善大使として任命されたオードリー ヘップバーンは
エチオピア、ソマリア、トルコ、ベネズエラ、エクアドル、
ホンジュラス、エルサルバドルと世界中を飛び回りました。

1992年に文民に与えられる最高位の勲章である大統領自由勲章
ジョージ・ハバート・ウォーカー・ブッシュ大統領から授与されました。

スポンサードリンク




まとめ

1993年1月20日に亡くなった女優オードリー ヘップバーンは
「映画の妖精」と呼ばれ、今もなお世界中のファンを魅了し続けています。

気品あふれる中にかわいらしさを持つオードリー ヘップバーンですが、
第二次世界大戦中にはオランダで暮らし、
スパイ活動に従事していたという意外な過去がありました。

スパイ活動に従事する中で命を失いそうになったことがあることを知り、
女優として活躍しているオードリー ヘップバーンの姿からは
全く想像することができませんでした。

第二次世界大戦中に飢餓で苦しんだ経験があるからこそ、
ユニセフ親善大使として世界中の恵まれない人々のために
力を尽くすことができたのでしょう。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA