【雑学トリビア】鳥山明さんと鳥嶋和彦さんの驚きのエピソード!!実は、、、
漫画家の鳥山明さんと担当編集者の鳥嶋和彦さんがタッグを組んで作り上げた
「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」といった漫画作品は、
今では世界中で愛される作品となっています。
しかし、これらの作品も常に順調に進んでいたわけでなく、
この2人の徹底的な議論や数多くの努力によって、作り上げてきたものになります。
今回の記事では、鳥山明さんと鳥嶋和彦さんがどのように出会い、
そして、どのように世界的な人気漫画を生み出したのかについてのエピソードを
深ぼっていきたいと思います!
ぜひ、最後までお付き合いください!
●鳥山明さんと鳥嶋和彦さんの出会い
鳥山明さんと鳥嶋和彦さんの出会うきっかけは、
鳥山明さんが投稿した「週刊少年ジャンプ」の新人賞になります。
400を超える数の応募作の中から鳥山さんの作品を見た鳥嶋さんが、
鳥山さんの作品を高く評価したことが始まりとなります。
新人賞に入賞することは叶いませんでしたが、
投稿された作品からセンスを感じ取った鳥嶋さんは、
当時新人だった鳥山さんを一から指導することを決意します。
2人の出会いは、ともにまだ漫画の実績の少ない若手の頃だったのですね。
このエピソードだけでも、鳥山さんの絵のセンスの高さや、
鳥嶋さんの編集者としての情熱がうかがえますね。
●世界的人気作の誕生エピソード
こうして、漫画家としてのセンスを持つ鳥山明さんと、
編集者としての情熱のある鳥嶋和彦さんがタッグを組んだわけなのが、
いきなり人気作を世に送り出せたわけではありません。
というのも、2人とも当時は新人であり、
納得のいく作品を生み出すまでに何度もボツを重ねていったそうです。
そうした努力を重ね続けた後に誕生したのが、
かの有名な「Dr.スランプ」になります。
「Dr.スランプ」で連載を獲得するまでに、
なんとボツ原稿は1年間で500枚にも及んだそうです。
2人の漫画に対する熱量が伝わってきますよね。
鳥山さんは当初、「アラレちゃん」は主人公にしないつもりだったそうです。
しかし、鳥嶋がアドバイスをしたことによって、
「アラレちゃん」を主人公とした「Dr.スランプ」が誕生しました。
ここからも2人が二人三脚で協力し合って、
実績を作っていったことが分かります。
●「ドラゴンボール」連載時のエピソード
「Dr.スランプ」連載終了後に、
新たに連載を開始したのが「ドラゴンボール」になります。
この作品の発端は、鳥山さんの好きな映画にあるとされています。
鳥山さんは、映画を観ることが好きで、
特にジャッキー・チェンのカンフー映画が好きだったそうです。
そこからアイデアを得て生み出されたのが後に
「ドラゴンボール」となる作品です。
「ドラゴンボール」は、鳥山さんの好きな分野を活かされた作品なのですね。
「ドラゴンボール」が連載開始時は順調だったものの、
時間が経つにつれて徐々に人気が低迷することになります。
そこで2人は、この作品について入念に議論を重ねます。
その入念な議論の結果、主人公である「悟空」のキャラクター性や
作品のコンセプトを変更しました。
もともと、冒険・ファンタジー系だった作品を、
バトル・アクション系の作品に生まれ変わらせます。
ただ作風を変えるのではなく、課題を特定し、新たな指針を打ち出した上で、
それを実現するという一連の流れができてしまうところが
この2人のすごいところですよね。
そうして、新たな作風となった「ドラゴンボール」は、
読者アンケートのトップになり、「週刊少年ジャンプ」の看板作品にまで登り詰めました。
●まとめ
ここまで、鳥山明さんと鳥嶋和彦さんのエピソードを解説してきました。
2人は有名になる前の新人の頃に出会い、
常に順調ではなかったものの、たくさんの議論や努力を繰り返しながら、
「週刊少年ジャンプ」のトップにまで登り詰めたのですね。
まるで、この2人の歩んできた道のりが少年漫画のようですよね。
こういった裏話を踏まえて作品を見てみると違った良さに
気づけるかもしれないですね。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!