【歴史トリビア】日本史のスーパースター「坂本龍馬」は何時代の人??
日本の歴史にあまり詳しくない方でも、坂本龍馬の名前を聞いたことがない、
という人はほとんどいないでしょう。それほどに有名で人気もある歴史上の偉人です。
では、「彼が生きたのは何時代?」と問われたら、すぐに答えられますか?
「えーっと、幕末だっけ?ん?待てよ?そもそも幕末って何時代?」
とすぐには答えられない方もいらっしゃるかもしれません。
答えは、江戸時代末期です。
では、龍馬が生きた幕末、江戸時代末期がどんな時代だったのかを、
彼の人生とともにみていきましょう。
Contents
●そもそも幕末って何時代なの?
日本の歴史を表す表現として、奈良時代、平安時代、室町時代、などといいます。
しかし、‟幕末“だけは、〇〇時代という表現とは異なり、
何時代なのかすぐにはピンとこないですよね。
ずばり‟幕末“とは、江戸時代末期、徳川‟幕”府の‟末“期のことを表します。
江戸幕府は、1603(慶長8)年、かの有名な徳川家康が開いた武家政権です。
初代将軍・家康にはじまり、15代将軍・慶喜まで265年間も続きました。
その265年間のうち、何年からを‟幕末“と呼ぶのかについて、
はっきりとした定義はありませんが、一般的には、1853(寛永3)年の
「黒船来航」あたりから始まると考えられています。
鎖国から開国へ、武家政権から大政奉還へと動いた日本史上の大きな転換点が、幕末であり、
その時代に活躍したのが、これからご紹介する坂本龍馬です。
●坂本龍馬
・生い立ち
坂本龍馬は、1836(天保7)年に高知で生まれました。
坂本家は土佐藩の中で階層的には下級武士ではあったものの、
豪商の分家の流れを汲んでいることから、龍馬は裕福な家庭環境で育ちました。
5人兄弟の末っ子として生まれ、幼少期は泣き虫だったといわれています。
強そうなイメージのある龍馬ですが、そんな過去があったのだと知ると、
なんだか少し親近感がわきますね。
そんな泣き虫だった龍馬ですが、姉の乙女に勧められて剣術を始めると、
めきめきとその才能を発揮します。
そして18歳頃、剣術の修行のために江戸に出ます。この修行先の江戸で、
この後の彼の人生を大きく変えるできごとが待っていました。
・黒船がやってきた!
龍馬が江戸で修業を始めた直後、ペリー提督率いるアメリカの軍艦4隻が浦賀にやってきたのです。
そう、あの歴史的大事件「黒船来航」です。
沿岸警備隊として品川の港に駆り出された龍馬も、
実際に自分の目で黒船の脅威を目の当たりにしたのでした。
約1年の修行を終え、土佐に戻った龍馬は、絵師である河田小龍から国際情勢について学び、
外国に興味を抱くようになりました。
黒船来航の翌年、幕府はアメリカと「日米和親条約」を結びました。
これにより、長らく続いた鎖国が終わりを告げました。
その後も幕府は他国とも様々な通商条約を結びましたが、
朝廷(天皇)はこれに反対していました。
そして民衆の間でも、外国に弱腰の態度をとる幕府に対する不満がふくらんでいきました。
そうした流れから、天皇の権威を再び取り戻そうとする尊王論と、
外国人をしりぞけようとする攘夷論が合わさった「尊王攘夷運動」が加速していきました。
・師・勝海舟との運命の出会い
江戸での修行を終えて土佐に戻っていた龍馬は、自らも「尊王攘夷運動」に参加しようと
土佐藩を脱藩し、再び江戸へと向かいました。
そこで勝海舟と出会います。勝海舟との出会いがその後の
龍馬の人生を大きく変えることになります。
開国派であった勝から、外国を排斥するのではなく、
日本も自らの海軍を持つことによって外国と対等の関係を築くことの重要性を説かれ、
龍馬はその考えに感服します。そして勝の弟子となり、
ともに神戸海軍操練所の創設などに努めました。
・「薩長同盟」と「寺田屋事件」と「新婚旅行」
勝との出会いで、攘夷派ではなくなった龍馬ですが、尊王派であることには変わらず、
幕府を倒して天皇を中心とした統一国家を作る必要がある、
そして、幕府を倒すためには、対抗するだけの大きな勢力が必要である、と考えていました。
互いに敵対関係にありながらも、‟倒幕“という同じ目標を持っていた薩摩藩と
長州藩が手を組めば幕府を倒すことができる、と考えた龍馬は、
薩摩藩の西郷隆盛と、長州藩の桂小五郎、木戸孝允らの仲を取り持ち、
「薩長同盟」を実現させました。
同盟締結後、龍馬は京都の旅館・寺田屋にて祝杯をあげますが、その最中に襲撃を受けます。
これが「寺田屋事件」です。拳銃で応戦するなどして一命をとりとめた龍馬ですが、
両手指を切られる重傷を負ってしまいます。
このとき、寺田屋で働いていた、おりょうという人が、龍馬が生涯愛した女性です。
襲撃時にいち早く異変を察知したおりょうが、それを龍馬に伝えたとされています。
その後、結婚した2人は、龍馬が襲撃時に受けた傷を療養するために
鹿児島の霧島温泉に行きますが、これが、日本で初めての新婚旅行だといわれています。
・「大政奉還」そして龍馬暗殺
坂本龍馬の仲介によって成立した薩長同盟。
薩摩藩と長州藩は武力による倒幕の機会を狙っていましたが、
土佐藩は15代将軍・徳川慶喜に対し、幕府自らが朝廷に政権を返上する
「大政奉還」を進言しました。
そして慶喜はこれを受け入れ、京都の二条城で「大政奉還」を表明し、
江戸幕府はその歴史に幕を下ろすことになりました。
大政奉還の実現から1カ月後、京都の旅館・近江屋に滞在していた龍馬は、
何者かに暗殺されてしまいます。
実行犯が誰かということについては、見廻り組説、幕府説、土佐藩説、
薩摩藩説、諸説ありますが、はっきりとしたことはわかっていません。
●まとめ
以上のように、日本史の大きな転換点となったのが、坂本龍馬の活躍した幕末でした。
坂本龍馬だけでなく、西郷隆盛、高杉晋作、木戸孝允、新選組など、
今なお人気を誇る歴史の偉人たちの多くが、この時代に活躍しています。
では、最後にもう一度質問です。
「坂本龍馬が生きた幕末とは、何時代のことでしょうか?」
ここまで読んでくださった方はもちろんおわかりですよね。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。