【カルト的人気】海外で活躍するロカビリーバンド「ザ・ロカッツ」人気の理由に迫る!
1950年代にアメリカで誕生した音楽ジャンル「ロカビリー」は
長い音楽史の中で繁栄と衰退を繰り返してきた。
「ロカビリー」はロックンロールとヒルビリー(カントリーの蔑称)の合成語である。
初期の特徴としてはボーカルの“ヒーカップ“と呼ばれる独特のしゃくり上げる歌い方や
“スラッピング“と呼ぶベースのパーカッション的な弾き方、
カントリー由来の“ギャロッピングギター奏法“などが挙げられる。
1950年代には最盛期を迎えた。
その後、本国アメリカで下火になってからも1960年代にはイギリスで人気となった。
しかし新しいロックムーブメントにより廃れてしまう。
1970年代後半に入るとパンクロックの影響を受けた「ネオロカビリー」により再ブームが起きた。
ネオロカビリーの代表的なバンドは「ストレイ・キャッツ」である。
今回は同時期に活躍したもうひとつの代表的なバンド「ザ・ロカッツ」を紹介したい。
⚫︎前身バンド結成と渡米
前身バンド「リーヴァイ&ザ・ロカッツ」は1977年に初ライブ。
パンクロックの伝説的バンドであるセックス・ピストルズのメンバーが
出会ったのと同じ洋品店「レット・イット・ロック」に出入りする客同士で結成したとされる。
デヴィッド・ボウイやジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズの
マネージャーをしていた人物の目に留まり活動を開始する。
この辺りの事情からもわかるように伝統的なロカビリーをただ演奏するだけでなく
パンクロックのエッセンスが足された音楽を作ろうとしていた事がわかる。
初期メンバーはボーカルのリーヴァイ・デクスターを中心とした5人編成。
翌年1978年にはロカビリーの本場であるアメリカに渡米し海外に活動拠点を移す。
この前後でリズム隊のメンバーが変わる。
アメリカ南部でライブをし賞賛される。
ロキシーやウィスキー・ア・ゴー・ゴーなど有名な場所で演奏できるほどの人気になる。
1979年にはニューヨークを拠点にしていたが意見の相違により
メインメンバーのリーヴァイを含む3人が脱退し事実上の解散。
⚫︎新生ザ・ロカッツ誕生
1980年に入るとパンクロックの始祖とされている伝説のバンドである
ニューヨーク・ドールズのジェリー・ノーランがドラマーとして加入。
3人で活動を再開する。
再び5人編成で演奏をするためメンバーを募る。
その際にはなんとストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーも
加入の意思を見せたとのエピソードもある。
5人編成に戻りジェリー・ノーラン脱退後も
新たなドラマーが参加し精力的にライブを行う。
メジャーデビューも果たす。
イギリスのバンドながら海外であるアメリカで活躍し、
パンクロックとロカビリーが融合した音楽はモダンでポップな雰囲気もあり成功を納める。
特に1983年発表のアルバム「メイク・ザット・ムーブ」は人気が高い。
その後、レコード会社の問題や、発売日の遅延などにより活動は失速してしまう。
1984年には「シークレット・ハーツ」とバンド名を改め再出発。
しかし好転せず解散してしまう。
⚫︎ザ・ロカッツ再結成
ストレイ・キャッツらによるネオロカビリーのリバイバルブームを受けて1991年に再結成をする。
元々が仲違い故の解散ではなかった。
そのためメンバーの親交は保たれておりスムーズに再スタートができたとされている。
日本でもカルト的な人気があり来日も数度している。
初来日時には海外の伝説的ネオロカビリーバンド「ザ・ロカッツ」のライブを見ようと
大勢のファンが詰めかけた。
バンドは少しも衰えておらずスラップするベース、ハードなギター、
ボーカルのデヴィスはテディ・ボーイ・バップを踊り激しいライブを披露したとされている。
ベースのスマッティはウッドベースに飛び乗ったとも。
活動ペースはゆっくりだがバンドは現在も存続している。
まとめ
元祖ネオロカビリーとして80年代に活躍した伝説的バンド「ザ・ロカッツ」を紹介した。
伝統的なロカビリースタイルながらパンクロックのパワフルさを持ち
キャッチーなメロディの楽曲と、イギリスのバンドながら海外へ拠点を移し
本場アメリカで成功を収めるなど驚くことばかりである。
また長いバンドの歴史の中でパンクロック界の重要人物との
度々の交流なども音楽ファンとしては面白く感じる。
再結成後は少ないながらもライブ活動を継続しており、
ロカビリーのスタンダードナンバーからオリジナル曲まで幅広く披露している。
日本でも音源を比較的簡単に入手でき、
リアルなロックを求める人にとっては必聴のバンドだと言える。