【あの人も受賞】グラミー賞の日本人歴代受賞者とは?主な受賞者を紹介

アメリカで生まれ、今や世界で最も権威のある音楽賞として知られているグラミー賞

その歴代受賞者の中には、多くの日本人も存在しています。

テクノポップやクラシックなど、さまざまなジャンルの音楽に精通し、
新しい時代の音楽を作り上げてきた坂本龍一さんや、

多様な民族的価値観を表現したアルバムジャケットで、
多様性のあふれる時代の訪れを願ったデザイナー、石岡瑛子さん、

この記事では、グラミー賞を受賞した歴代日本人三人を紹介します。ぜひ最後までご覧ください。

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様々なジャンルの奇才坂本龍一


冷戦の終結など、世界が新しい時代への一歩を踏み出し始めた1989年、
一人の日本人アーティストが、グラミー賞映画音楽賞のトロフィーを受け取りました。

坂本龍一さんです。

坂本龍一さんは、1978年、ベース、シンセサイザー担当の細野晴臣さんや
ドラムボーカル担当の高橋幸宏さんと共に、イエロー・マジック・オーケストラ、通称YMOを結成しました。

坂本さんは、キーボードやシンセサイザーの担当で、
シンセサイザーなどを用いたテクノポップ、電子音楽の基礎をYMOのメンバーと共に築き上げてきました。

また、個人としては「戦場のメリークリスマス」や、
グラミー賞受賞作品となった「ラストエンペラー」などの映画音楽制作や、
他のアーティストへの楽曲提供を行うなど、マルチな音楽活動をこなしていました。

坂本さんは、クラシックやポップス、テクノポップなど、
さまざまなジャンルの音楽に精通しており、それらをミックスした音楽も作っていました。

まさに新しい時代の世界へと踏み出した年の始まりの
グラミー賞にふさわしい音楽家だったのです。

時代を映し出すジャケットを生み出した石岡瑛子


世界人口が50億人を突破し、多様な民族的価値観が重視され始めた1987年、
まさに多様な民族的価値観を表したパッケージデザインを生み出したデザイナー
石岡瑛子さんが、グラミー賞に輝きました。

石岡瑛子さんは、東京藝術大学の出身で、資生堂などでのデザイナー経験を積んだ後、
1970年に独立し、1980年代からは、アメリカに活動拠点を移してデザイナー活動を行っていました。

そして、1986年に、ジャズトランペット奏者、マイルス・デイヴィスのアルバム、
TUTU」のジャケットデザインを担当し、そのデザインの素晴らしさが認められ、
1987年のグラミー賞で、日本人の歴代受賞者の中で唯一、最優秀アルバム・パッケージ賞を受賞しました。

ジャケットデザインは、マイルス自身の顔のアップをモノクロにしたシンプルなものですが、
インパクトがあり、アルバムのテーマであった人種問題に向き合うイメージを感じるもので、
多様な民族的価値観を考えさせられます。

伝統を受け継ぎ現代を作る宅見将典


様々な最新技術の普及の隣で、伝統文化の継承などにも関心が向く2023年、
伝統を生かした音楽作りの功績が認められ、グラミー賞を獲得した日本人がいます。宅見将典さんです。

宅見将典さんの音楽活動は、1999年に、大野一成さんや宮脇哲さんとともにロックバンド、
Sirenを結成したことから始まりました。

その後、同じ年に篠原ともえさんの楽曲、「I wanna say to」で作曲家としてもデビューしました。

バンドとしての活動をこなしながら作曲活動を行い、ギターやドラム、
ピアノなどといった楽器を独学で練習し、作曲や編曲のみならず、
他アーティストのプロデュース、楽器の演奏など、さまざまな分野でアーティスト活動をしています。

グラミー賞では、制作したアルバム、「Sakura」で日本人として歴代初、
グローバル音楽アルバム賞を受賞しました。

この「Sakura」は、日本の伝統的な和楽器の音色と、
アメリカ流の現代的編曲を組み合わせて作られた楽曲を収録しているアルバムです。

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まとめ

今回は、グラミー賞を受賞した歴代日本人を三人紹介しました。
「戦場のメリークリスマス」や「ラスト・エンペラー」などの映画音楽を手掛けながら、
テクノポップなどの新しい技術が多用された音楽などを作り続けた坂本龍一さん、

デザイナーとして、一人のアーティストがアルバムに込めた意味をジャケットの形で表した石岡瑛子さん、
伝統を受け継ぎながら、新しい時代の音楽を融合した宅見将典さん、

どの方々も、ジャンルや形は違えど、音楽と向き合ってきた素晴らしい方々です。
ぜひ一度その音楽を、ジャケットを手にとってみてはいかがでしょうか。

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